白石一郎の「怒濤のごとく」を読んだ感想とあらすじ(面白い!)

覚書/感想/コメント

★★★★★★★★★☆

第三十三回吉川英治文学賞受賞。

日本で国姓爺の名で知られる鄭成功と、父・鄭芝龍の物語。物語の前半は鄭一族を一挙に強大にした鄭芝龍が主人公であり、後半はこの親子の対決が見所となっている。

国姓爺の「国姓」とは、明王朝の皇族の姓である”朱”を意味する。太祖朱元璋以来の姓が”朱”で、国姓と呼ばれるのだ。「爺」は老人のことでなく、一種の敬称である。

鄭芝龍と鄭成功の親子の対立は根本的なところでの考え方の違いである。

鄭芝龍は鄭一族の繁栄を最優先に行動する。対して鄭成功は明国王朝への忠義を第一として、大義を主張する。鄭芝龍が現実主義者なのであれば、鄭成功は理想主義者といえる。

この考えの根底には、当時の時代の変化というものも強く影響しているだろう。明から清へ替わる激動の時代なのだ。日本では徳川幕府の初期の時代である。

明の歴史上「北虜南倭」といわれる禍がある。北虜は北方の草原民族の国境侵犯を指し、南倭は中国南方海岸を侵略する日本海族の略奪行為を指す。

ちなみに、倭寇とは名ばかりで、福建省、広東省などの難民たちが日本人のようなちょん髷をつけ、腰に日本刀をぶら下げて略奪行為を行っていたものであり、十に一の割合くらいでしか日本人はいなかった。

これらの北虜南倭が明の経済を著しく疲弊させた。北虜南倭の対応のため軍は出動させなければならない。軍の維持には金がかかる。これに官の腐敗などがあり、明の体制は急速に揺らぐことになる。

こうした激動の時代である。

父の鄭芝龍はこうした激動の波に上手く乗った人間である。だが、これも体制が存続していればのことであり、体制が崩壊してしまうと自らも崩壊せざるを得ない。

一方、鄭成功は体制の崩壊の中で青春を過ごしている。体制の崩壊の直後は混乱が待っている。自らの行く先が見えなくなるだろう。
時代の急激な変化が親子の考えを全く異なるものにしたのだと思う。

おかしな例えになってしまうのだが、バブル経済の恩恵を受けた世代とそれ以後の世代の感覚的差異のようなものかも知れない。バブルに踊って崩れた人間が再びのバブルを待ち望むのと、バブルの崩壊を青春時代に見ている人間が、手堅く公務員や資格に走るといった感覚の差異だろう。どちらが正しいとかという問題ではない。生きてきた時代の感覚の違いなのだ。

さて、鄭成功と名乗るようになってからの鄭森は苦難の連続である。

清国の勢力が日増しに強くなり、ついに父・鄭芝龍は清国に降伏する。だが投降は見事に失敗し、北京へ護送される。

鄭一族の繁栄は頂点に鄭芝龍がいればこそであった。だから鄭芝龍が投降に失敗すると、鄭一族の戦力は四分五裂する。二十万といわれた鄭家軍団も、鄭成功の元に残ったのはわずか二千人にも満たなかった。

鄭成功は「救父報国」の四文字を掲げ、徐々に力を増していく。廈門を拠点にし、ついには三十四歳で二十万の軍兵を動かすまでになった。かつての勢力をしのぐ勢いまでになった。

だが、念願の清を打倒する北伐に失敗する。そして、力を蓄えるためにオランダ軍を追い出し台湾を手中にする。以後の標榜は「抗清復明、大陸進攻」となる。

終生”大義”に生きた人間であった。

内容/あらすじ/ネタバレ

寛永元年(一六二四)七月。

平戸島でおマツが男の子を産んだ。おマツの夫は鄭一官、本名を鄭芝龍という明国人である。男の子は森と名付けられた。鄭森、後に鄭成功と呼ばれる人物である。日本名を田川福松という。

平戸島は外国貿易で栄える国際商業都市である。この頃、長崎港が開かれ、繁栄にかげりが見え始めていたが、往時の賑わいを失ってはいなかった。

この頃の平戸島では明国人が二つの勢力分かれていた。一つは日本甲螺と呼ばれる顔思斉で、もう一つは唐人かぴたんと呼ばれる李旦である。もともと日本甲螺の方が勢力が強かったのだが、最近は唐人かぴたんの李旦に押されている。鄭森の父・鄭芝龍は日本甲螺の右腕と呼ばれていた。

日本甲螺は密貿易を生業とする海商達の支配者といってよい地位にあった。だが、徐々にその地位が揺らいでいる。現に顔思斉は同じ平戸に住む海賊李旦の跳梁を黙認して威圧が出来ない。日本甲螺の前線基地であった台湾はすでに李旦に押さえられてしまっている。

鄭芝龍は日本甲螺の顔思斉に船団を率いて日本甲螺の力を見せつけるべきだと攻め寄るが、顔思斉はその意志を示さない。鄭芝龍同様に悔しい思いをしているのは、日本甲螺で小頭目と呼ばれる面々である。そこで、日本甲螺の幹部が集まり、強引に顔思斉を船に乗せて出航することになった。

だが、出航途中で、台湾南港を李旦がオランダ人に売り渡したことがわかった。この頃の台湾には支配者はいなかった。七つの部族に分かれて散在している高砂族がいたが、統一国家はなかったのだ。この台湾で、台湾南港は天然の要害に囲まれた港だった。果たして聞いてきたとおり、オランダ軍が占領している。

どうするか対応に苦慮している中、顔思斉が逃げ出した。台湾南港に入れなかった一団は、頭目が逃げ出し、目の前にはオランダ軍がいる。
そこで、逃げ出した顔思斉に代わって鄭芝龍が日本甲螺の地位につき、台湾南港への入港はあきらめることにした。代わりに、以前オランダが占領した島を襲撃することにした。日本甲螺の力を見せつけるためである。

この後、船団はマカオに入港した。マカオはポルトガルの勢力下である。オランダとポルトガルは敵対している。敵の敵は味方というわけだ。

…六歳になった田川福松(鄭森)は平戸島ですくすくと育っていた。抜群に記憶力があり、家庭教師の黄仙遊も驚くほどであった。そして、身体を鍛えるために道場にも通っていた。そうした生活を送っている中、福助は父・鄭芝龍が裏切り者と呼ばれているのを耳にした。一体何のことだかわからない。

理由は平戸にやってきていた叔父の鄭芝鳳が語ってくれた。それによると鄭芝龍は明国政府の招撫に応じて政府の役人になったのだ。この時にかつて日本甲螺といわれていたときの部下と別れたのだ。

鄭芝龍には目算があった。芝龍が政府の招撫に応じたのは、政府の名を借りて名実ともに明国の海上王となるためである。要するに、逆に利用するつもりなのだ。

その翌年、鄭芝龍はおマツや福助らの家族を迎えに次弟の鄭芝豹を送ってきた。だが、平戸島の松浦藩はおマツの家族全員の渡航を認めなかった。そこでやむを得ず福松だけが渡航することになった。

…福建省泉州の南安県。安平鎮という海浜地帯に鄭芝龍は城郭を築いていた。鄭氏一族はすでに堂々たる軍閥になっていた。

この地で鄭森(福松)は勉強に励んでいた。鄭森につきそっているのは日本から一緒に来た虎之助と、途中で救った才兵衛である。

鄭森は近々行われる戦闘に加わりたいと父の鄭芝龍に申し出る。だが、即座に却下された。というのは、鄭森には将来鄭氏一族の総帥とならねばならない宿命がある。そのためには急いで戦場を覚える必要はない、まず学問を修めるのが先決だというのだ。

鄭芝龍はどうしても息子の鄭森に科挙に合格してもらいたかった。明国政府に仕えるようになって、科挙試合格の資格を持たない悔しさを幾度味わったことか。

鄭森の勉強は順調に進み、県試、府試、院試に突破し、科挙に挑戦するための資格を得た。

この頃には明国政府の崩壊の兆しは色濃く漂っていた。こうした中でも鄭芝龍はその地位を生かし莫大な財産を築いていった。そして、鄭芝龍は福建省都督となり飛虹将軍と呼ばれるようになる。

…明国王朝は崇禎十七年(一六四四)、第十七代皇帝の自殺により二百七十七の幕を閉じた。

この様子を二十一歳になっていた鄭森は悔しい思いで見つめていた。明国のために力になりたいと思っているのだ。こうした息子の鄭森を鄭芝龍は強制的に呼び戻した。

明国は事実上滅亡したのだが、各地で新たな皇帝を祭り上げ、回復運動が活発になった。その一人、唐王が即位し、隆武帝と名乗る。

この隆武帝と鄭芝龍は当然のことながら波長が合わない。そこで鄭森を隆武帝に合わせることにした。

すると驚いたことに隆武帝は鄭森をみてすぐに「朕にもし娘がいれば瞬時も迷うことなく汝に娶らせることであろう」といい、次には「汝を朕の婿にできぬのは無念じゃが、かわりに汝には朕の姓を与えようぞ」という。つまり国姓の朱を名乗ることを許し、森に成功という名を与えた。朱成功である。だが、朱の姓は恐れ多いと鄭森は鄭成功と名乗ることになる。ここに隆武帝の絶大な信頼を得たのだ。

本書について

白石一郎
怒濤のごとく
文春文庫 計約六九〇頁
中国 明末期~清朝 17世紀

目次

夕日の子
海上王
平戸
飛虹将軍
南京の嵐
鄭成功
思明州
遠征
台湾海峡
あとがき

登場人物

鄭成功(鄭森、田川福松)
鄭芝龍…父
おマツ…母
虎之助
島津才兵衛…島津才右衛門の息子
董夫人…鄭成功夫人
黄仙遊…門館先生(家庭教師)
馬夫人…鄭芝龍の第四夫人
<鄭一族>
鄭芝豹…鄭芝龍の次弟
鄭芝鳳(鴻逵)…鄭芝龍の三弟
鄭芝虎…鄭芝龍の四弟
黄伯…鄭芝龍の従弟
鄭泰…鄭芝龍の従弟
鄭彩…鄭成功の従兄、鄭芝虎の息子
鄭聯…鄭成功の従兄、鄭芝この息子
甘輝…鄭芝龍の部下
施琅…鄭成功の部下
隆武帝(唐王)
顔思斉…日本甲螺
陳衷紀…副頭目
劉香老…小頭目
李魁奇…小頭目
林道雲…小頭目
李旦…唐人かぴたん
李三官…李旦の息子
島津才右衛門
<平戸島>
田川七左衛門…鄭成功の祖父
次郎左衛門(鄭?)…鄭森の実弟
松浦肥前守隆信…平戸藩主
花房権右衛門…平戸藩の剣術指南役
ダニエル・カロン
カロリーネ
<オランダ>
コイエット…台湾長官
ラーン提督
マート・ソイケル総督…オランダ東印度会社
文四郎
鬼熊八郎太

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