海音寺潮五郎の「悪人列伝1 古代篇」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★☆☆☆

この巻で収録されているのは、天皇権が確立しておらず、揺らいでいた時代の人物達である。天皇権が大きく揺らいだのが、蘇我一族が権勢をふるった飛鳥時代。

これは中大兄皇子と中臣鎌足らのよる大化の改新で揺らぎが収まる。だが、それから三百年くらい経った時点の平安時代に承平天慶の乱(平将門・藤原純友の乱)により再び揺らぐ。

不思議なことに、古今東西、大体二百年から三百年を周期にして権力は揺らぐようである。それが転覆する場合としない場合があり、さしずめ本書に収録されているのは、たまたま権力が転覆しなかった場合の事例である。

「蘇我入鹿」は蘇我一族の歴史といってよいものである。入鹿の曾祖父・稲目は日本仏教史上の大立者である。日本書紀によれば欽明天皇の十三年(五五二)に日本に仏教が入ってきたことになっている。これを擁護したのが、父祖代々外国文化に親しんできている蘇我稲目だった。

海音寺潮五郎は入鹿を悪人だとはみていない。古来悪人とされているので、この列伝に組み込んだだけだと述べている。入鹿親子が悪人とされたのは、天皇家に対して不忠であったためであり、この非難は天皇制が確立して以後の倫理を基準としている。天皇制が確立する以前の古代においては自然の流れにすぎなかったと述べている。

「弓削道鏡」は俗才はまるでなかった人物のようだと海音寺潮五郎は評している。奇妙な巡り合わせて孝謙天皇の愛人となったために、悪名を千載に流すことになってしまった。本来は佞幸伝に入れるべきだが、古来悪人とされてきたので、この列伝に組み込んだだけである。

「藤原薬子」は美貌だったようだ。美貌は女の天与の財産である。古来女性で悪人と伝えられる者で美貌でなかった者はない。そして、女の悪人の資格は美貌だけではない。優れた才気、旺盛な権勢力も必要である。これらを兼備した女性はたいていの場合悪人となる。海音寺潮五郎はこう評しているが、なるほどと思わずにはいられない。

「伴大納言」の時代、弁官を無事に勤め上げた者が、順次に大納言、中納言となるのであるから、善男にとって他の五人は有力な競争相手である。これを一挙に排除するために善男は頑張ったということらしい。

応天門事件。平安遷都の時、大伴氏が造営献上したものである。オホトモの音に通う美字を選んで「応天」としたのだ。同じように、美福門(壬生氏、美福の呉音ミフク)、皇嘉門(若犬甘氏、皇嘉の呉音ワウカ)、陽明門(備前の山氏)、待賢門(播磨の建部氏)など、旧仮名遣いでないとわからない氏と門との関係がある。それだけに、応天門を焼くということは伴(大伴)一族を呪うということになるのだ。

「平将門」の反乱は藤原氏の専権に対する王氏(皇胤諸氏)の反抗であり、道真の怨霊崇拝が大いに関係あるというのが海音寺潮五郎の説である。

平貞盛。将門を討ち取った人物の一人だが、将門記での貞盛は気の弱く、理知があきらか、功利の念の強い人物であるが、今昔物語で伝えられる貞盛は冷静沈着、大胆不敵、知恵たくましい性格、残忍、刻薄、権勢欲の強い人物である。今昔物語は貞盛が年を取ってからのものであるため、後年性格が変わっていったのだろうという。

藤原氏は春日明神を氏神としており、八幡神は皇族から臣籍に下った諸氏が氏神と信仰したものであった。後世では清和源氏の氏神となったが、本当は皇族から臣籍に下った諸氏の氏神であったのだ。

明治以前に関東で明神と呼ばれていた神社の多くは将門を祀ったものである。これに対応するように、成田不動尊の縁起であるが、江戸中期以後の書物にしか存在しない。おそらく、江戸時代になり大義名分論が盛んになってから、この寺の一部の坊さん達がいいだしたものだろうという。

「藤原純友」も平将門も敵としているのは天皇家ではない。摂関政治や荘園制度を敵視していたというのが海音寺潮五郎の見方である。
一方で、この二人の威勢の最盛期には京都朝廷は危うかった。大化の改新があってから三百年くらいしか経っていない。

藤原純友と平将門については海音寺潮五郎はそれぞれ小説(「海と風と虹と」「平将門」)を書いているので、それを読まれるのがよいと思う。

承平天慶の乱を扱った小説

平将門

海音寺潮五郎の「平将門」を読んだ感想とあらすじ(面白い!)
平将門の乱は、藤原純友の反乱と合わせて「承平天慶の乱」と称される。平将門の乱は、藤原純友の反乱の時期的に近く、伝説として平将門と藤原純友が比叡山で共同謀議して起こしたものだと言われてきている。真実は不明だが、本書は共同謀議説を採用していない。

海と風と虹と

海音寺潮五郎の「海と風と虹と」を読んだ感想とあらすじ
藤原純友の反乱は、平将門の乱と合わせて「承平天慶の乱」と称される。これに関しては、海音寺潮五郎はすでに「平将門」を記している。だから、本書は「平将門」の姉妹篇といって良いものである。ただし、「平将門」を記してから十年以上の月日が流れてから本書を書いているため、その間に生まれた新たな学説も取り入れ、一部設定を変えている。

絶海にあらず

北方謙三の「絶海にあらず(上)」を読んだ感想とあらすじ
藤原純友を主人公とした小説である。藤原純友については、古くは伊予の土豪という考えがあったそうだが、今では藤原北家の傍流というのが共通認識だそうだ。

内容/あらすじ/ネタバレ

蘇我入鹿

蘇我氏は孝元天皇三世の孫の子孫であるといわれている。この子が蘇我石川麻呂、その子が満智、その子が韓子、その子が高麗、その子が稲目、その子が馬子、その子が蝦夷、その子が入鹿である。

蘇我氏が繁栄したのは、大和朝廷の財政権を握ったからである。そして、稲目の時代に、貿易を営んだり、諸国に多数の田荘をこしらえ、富を増大させている。同時に、婚姻政策により皇室との関係を密にしている。

稲目の子・馬子の時代になり、蘇我氏は物部氏と睨み合うようになる。物部氏は物部守屋の時代である。そして、物部氏を滅ぼすに至る。こうして蘇我氏は朝廷中唯一の権勢ある豪族となった。

馬子の子・蝦夷の時代になった。推古天皇が死に、皇位継承の争いが起きた。さまざまなごたごたを経て蝦夷は欽明天皇を擁立することに成功する。そして、蝦夷の子・入鹿の時代になる。

弓削道鏡

聖武天皇のあとを継いだのが孝謙天皇である。女帝である。この頃の天皇権は極盛期にあった。孝謙天皇の最初の愛人は藤原仲麻呂であった。仲麻呂は不比等の長男・武智麻呂の次子である。

孝謙天皇は皇位を淳仁天皇に譲った。だが、政治は孝謙天皇と藤原仲麻呂が握り続けた。やがて仲麻呂は藤原恵美朝臣押勝と名乗るようになる。全盛を極めたはずの仲麻呂であったが、道鏡が登壇してきた。

道鏡の素性と前歴はよくわからない。この道鏡が孝謙天皇の寵愛を受けるようになる。道鏡は法王に任ぜられ、権力の絶頂を迎えるが、和気清麻呂の忠節事件、孝謙天皇の死となり、没落していく。

藤原薬子

藤原薬子を理解するには。まず藤原氏四家を知る必要がある。中臣鎌足の子・藤原不比等の四子から各家がおきている。南家、北家、式家、京家と呼ばれるようになる。京家は終始ふるわなかったが、他の三家はそれぞれ栄えた。まずは南家が栄え、次に北家が栄えた(後年、平安時代を彩ったのはこの北家の流れである)。そして、奈良朝末に急激に勢いを得たのが式家である。薬子はこの家の人である。

桓武天皇の時代になり、薬子の父・種継は内外の政務全部をまかせられるほどの威勢であった。平安遷都も種継の建議が動機である。だが、この種継が急死する。暗殺である。

薬子の年はわからない。彼女が安殿太子に最初にあった時、三男二女の母であったという。そして、薬子は安殿太子を虜にしていく。この安殿太子が即位し、平城天皇となる。そして、薬子を宮中に入れた。そして、後年、薬子事件と呼ばれる権力闘争が勃発する。

伴大納言

通説では伴大納言善男は参議伴国道の第五子となっているが、素性は不明である。二十代前半以前の記録は素性も経歴も模糊として疑雲に閉ざされている。

善男は官僚としては出世型であったようだ。残忍刻薄な性質で、頭脳明晰、寛容な心がなく人の欠点を弾劾排斥して遠慮会釈がない、権勢欲が強烈で、目上の人には媚びた。そしてめざましい出世をする。

弁官という官職があった。太政官の判官で各省の重要な機務を見た職員である。定員は六人である。承和十三年、善男をのぞく五人の弁官が全員罪人となる大疑獄が起った。それを告発させたのが善男である。

これで評判が悪くなった善男だが、仁明天皇のお気に入りであり、手腕家でもあったので出世は続く。そして、大納言となる。伴一族で大納言になったのは奈良朝に旅人が大納言になって以来である。これ以上の出世は望めないところであるが、持ち前の陰険な術策がはじまる。

太政大臣は藤原良房、左大臣は嵯峨天皇の皇子源信、右大臣は良房の弟藤原良相。藤原氏は大勢力となっている。これと衝突するのは危険である。自然と対象は左大臣の源信になる。そして応天門事件になる。

平将門

この当時、藤原氏の系列の皇室でなければ数代立った時点での没落は目に見えるものであった。今昔物語には、平城天皇四世の孫・大江玉淵の娘が淀川沿いの鳥飼の里の遊女となり、白女と名乗っていた話が出ている。

桓武天皇の皇子葛原親王の子・高見王は無位無冠に終った。その子・高望王に至り、平姓をたまわって臣籍に入った。そして、上総介となり坂東に下った。これが桓武平氏の祖であり、将門の祖父になる。

高望王に何人の子があったかは正確にはわからない。だが、将門事件に関係のある者ははっきりしている。国香、良兼、良将、良文、良正の五人である。良将は将門の父である。

将門は年若くして父に先立たれたらしい。そして、父の遺領相続に絡んで一族と仲が悪くなった。いったん、京へ上り宮仕えをしたが、坂東に戻ってきた。

戻ってきて、一族との間の紛擾に前常陸大掾・源護との争いが錯綜する。この中で将門は国香を討ち取ってしまう。この国香の息子・貞盛は、こうした出来事にもかかわらず父の復讐として憎む気ははかったという。

藤原純友

荘園制度の発達。瀬戸内海の海賊どもは元来、平和に暮らしてきた漁民だったらしい。これに権門、勢家の許しを得たという輩が押し寄せ、島を占拠し始める。いる場所を失った漁民達が海賊となったというのだ。

通説による藤原純友の系図はりっぱである。権力の中心である藤原の北家に生まれており、父は良範である。だが、これには異説がある。純友は良範の養子という説だ。

純友は伊予掾に任ぜられた。掾は地方官としては三番目の官である。

やがて、この伊予を基盤にして純友は海賊たちを束ねていくようになる。

本書について

海音寺潮五郎
悪人列伝(一)
文春文庫 約三三〇頁
飛鳥時代~平安時代

目次

蘇我入鹿
弓削道鏡
藤原薬子
伴大納言
平将門
藤原純友

登場人物

蘇我入鹿
 蘇我稲目
 蘇我馬子
 蘇我蝦夷
 蘇我入鹿

弓削道鏡
 孝謙天皇
 藤原仲麻呂
 弓削道鏡

藤原薬子
 藤原薬子

伴大納言
 伴大納言

平将門
 平将門

藤原純友
 藤原純友

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