司馬遼太郎の「新史-太閤記」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★☆☆

物語は、後の豊臣秀吉が故郷を飛び出し、織田家に仕え、やがては天下を取り、北条征伐に至る直前までの時期を描いている。徳川家康が秀吉の軍門に下るところで終わりにしているのである。司馬遼太郎としてはこの頃が秀吉の絶頂期であり、以後のことには興味がなかったのだろう。

本書での秀吉の捉え方は面白い。ここでは比較の対象として、海音寺潮五郎の「新太閤記」を挙げてみる。

司馬遼太郎は秀吉の根本的な思想を「商人的」なものにもとめている。それは秀吉が尾張人であり、尾張人の生来的な気質であるという。司馬遼太郎は、尾張は農民まで商人的な気質を帯びており、織田信長ですら政治感覚や戦略感覚に商人の投機的性質に満ち満ちている。この点、三河は極端な農民型で、着実ではあるが冒険心に乏しい、と述べている。

一方の海音寺潮五郎は秀吉を商人的発想の持ち主とは捉えていない。あくまでも信長の忠実な弟子であり、信長を理解する知恵者として捉えている。もちろん司馬遼太郎も秀吉を知恵者として捉えているが、その知恵にも商人ならではの損得や儲けという考えがあり、信長から得たものとしては捉えていないようである。

また、司馬遼太郎は秀吉の調略の才能に重きを置き、これは信長にすら影響を与えたと考えている。それは、司馬遼太郎が「美濃攻略以後、信長は調略外交に専念し始めている。

これまでは、戦争するにあたって猛進して敵を破るだけの大将だったが、戦争観が変わったのだ。藤吉郎は最初から最後まで調略・謀略であり、合戦はその一部でしかない。信長は藤吉郎から教わったのだ。」という趣旨を書いている点からもそうだと思う。

一方の海音寺潮五郎は秀吉を、信長の思想を最も深く理解し、実践したのが秀吉であると捉えている。だから、信長の後継者としての秀吉像という側面も見え隠れする。司馬遼太郎との捉え方が違うのが興味深い。

この捉え方は、登場する主要人物にも差が生じる原因となっているように思う。そして、秀吉の周辺の人物を描いた作品が異なる要因にもなっているようだ。

司馬遼太郎は秀吉の調略の才能を強く意識しており、そのため、調略・軍略の才能のある竹中半兵衛や黒田官兵衛が重要な人物として書かれている。秀吉と対決する柴田勝家や徳川家康はその秀吉との差を際だたせるような書き方をしている部分すらある。

一方、海音寺潮五郎は秀吉を信長の忠実な後継者として捉え、秀吉の最も忠実な後継者として加藤清正を重要視している。つまり、信長⇒秀吉⇒清正の流れを想定しているように思えるのだ。

両者の秀吉の捉え方が面白く、あわせて読まれるのも良いと思う。他の有名作家も秀吉を描いているものが多く、これらもあわせて読むと一層面白いだろう。

そして、秀吉周辺の人間として描いたものがあるならばあわせて読むと一層面白いはずである。秀吉との関係で誰を持ってきているかは、その作家の秀吉像を知る上でとても興味深いものになるはずである。

同じことは織田信長や徳川家康にもいえる。この二人も周辺の人間まで合わせて読むと、その作家のイメージしている信長像、家康像がくっきりと浮かび上がってくるはずである。

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内容/あらすじ/ネタバレ

「ひよし」と高野聖が呼ぶ子供が付いてきている。この小僧は気心が効いて何かと便利である。この高野聖の一人が一緒に来ないかというとすぐに承諾した。

高野聖といっても行商人と同じである。小僧は継父と折り合わず、家にいてもどうしようもなかった。ならばいっそのこと商人にでもなろうかと思ったのである。高野聖の一行は浜松で待っているから後で来いという。

だが、この高野聖に一行は不幸にも三河の地で本願寺門徒と争いを起こし、ほとんど討ち殺されてしまった。

途方に暮れた小僧だが、かといって故郷に帰ることもできなかった。流れるように方々を渡り歩き、尾張の蜂須賀村にたどり着いた。

蜂須賀村では蜂須賀小六に可愛がられた。その頃、小僧は武家奉公を考えるようになり、小六と相談をした結果、駿河の今川家に奉公するのがよいだろうということになった。近隣の織田家はまだ家内不安定でどうなるかも分からない状態だったのだ。

小僧は今川家の家臣・松下嘉兵衛之綱の小者となったが、家中での評判が今ひとつ上がらない。駿河の人間と気質が合わないのだ。やがて奉公を切上げ、尾張に戻り、再び蜂須賀村で厄介になる。

今度は織田家に奉公しようと考える。幸いつてがあり、つてを頼り、奉公がかなった。運の良いことに足軽の欠員ができ、足軽の名が藤吉郎であったため藤吉郎の名を継いだ。

藤吉郎から見る主君・信長は恐ろしくはあるが仕え甲斐があった。それは、自分が信長の意のままに動く道具であれば必ずや報われるということを知ったからである。果たして、藤吉郎は奉公に励み、少しずつ位を上げていった。

駿河の今川が上洛するための軍を動かすという噂が流れているころ、藤吉郎は浅野家の娘・寧々と結婚した。今川との戦いは桶狭間で決着が着き、信長が目指すは美濃攻略であった。

美濃攻略にはどうしても墨俣に拠点が必要である。藤吉郎は蜂須賀小六の助けを得て、墨俣に城を築いた。世に言う墨俣一夜城である。

ここから本格的な美濃攻略が始まる。藤吉郎が目を付けたのは竹中半兵衛重治であった。半兵衛の軍略の才に目を付けたというより、その血縁関係に目を付けたのだ。半兵衛の姻戚関係は西美濃三人衆とすべてつながっていたのだ。だから、半兵衛を調略した。

美濃攻略は成功に帰した。そしてこれを機に織田家における藤吉郎の地位と勢力は確固たるものになった。この頃の藤吉郎と親しかったのは前田利家であった。これ以後二人の中は終始変わらなかった。

信長は美濃攻略が終わると、足利義昭を奉り、京へと入っていった。その際、藤吉郎は京の守護職に任じられた。

次に信長は越前・朝倉討伐の軍を動かした。しかし、予想しなかった浅井の裏切りに会い、命からがら逃げた。このとき、藤吉郎は殿を勤めた。藤吉郎もまた命からがら逃げたのであった。これ以後しばらく、信長は耐える日々が続く。

浅井を滅ぼし、再び信長が動き出した。この頃の藤吉郎はそれなりの地位を得ていた。だが、この藤吉郎を快く思わないのがいた。特に柴田勝家である。二人の中はこの頃から険悪なものになっていった。

こうした日々の中で、藤吉郎は播州攻略、そして毛利攻略へと戦線を渡り歩いた。この時期の藤吉郎の城攻めは今までの誰もが発想しないやり方であった。その城攻めで次々と攻略していく。

だが、この中でとんでもない知らせが飛び込んできた。本能寺で信長が死んだ。そして中国大返しといわれる藤吉郎の奇跡的な行動が始まる。

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本書について

司馬遼太郎
新史 太閤記
新潮文庫 計約八三五頁
戦国時代 主人公:豊臣秀吉

目次

商人聖
薬王子
嘉兵衛
上総介
寧々
半兵衛
調略
利家
善祥房
南殿
北陸
播州
官兵衛
禅高
高松城
変報
瀬兵衛
勝家
羽柴少将
紀之介
大垣
賤ヶ岳
政略
家康
尾張戦線
狂言

登場人物

豊臣(羽柴、木下)藤吉郎秀吉
寧々
浅野又右衛門
浅野長政
蜂須賀小六
竹中半兵衛重治
黒田官兵衛
織田信長
前田利家
丹羽長秀
柴田勝家
徳川家康

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