とても文学的な映画です。1985年のアカデミー賞で、作品賞をはじめ7部門を受賞しました。
面白い映画ではありませんが、退屈な映画でもありません。退屈でないのは、カレンを演じるメリル・ストリープの演技力のおかげだと思います。
原作は、1937年に出版されたアイザック・ディネーセンの小説「アフリカの日々」。アイザック・ディネーセンの本名はカレン・ブリクセン。彼女の半生を描いた自伝的小説になります。
カレンはアフリカからデンマークへ帰国後に執筆活動を始め、20世紀デンマークを代表する女流作家となりました。
1997年から発行されたデンマークの50クローネ紙幣には、カレンの肖像画が使われています。まさにデンマークを代表する作家です。
本作以外にも映画化された作品があります。「バベットの晩餐会」がデンマークで映画化され、1987年のアカデミー最優秀外国語映画賞を受賞しました。
あらすじ/ストーリー
はじまり
彼はサファリにも蓄音機を持参した。
3丁の銃と1ヶ月分の食糧。
そしてモーツァルトを。
老婦人が過ぎた日々を書き綴っている。老婦人はカレン・ディネーセン。
彼女が思いを馳せているのはデニス。そして、遠く離れたアフリカの地だった。
デンマーク
1913年、デンマーク。
カレンは外の世界を見たいと強く望んでいた。裕福だが、オールドミスになることを恐れたカレンは、友人のブロア・ブリクセン男爵に便宜上の結婚を持ちかけた。
ブロアは貴族だったが、経済的には不安定だったため、結婚を快諾し、二人はアフリカのケニアに移り住んだ。カレンはケニアに土地を所有しており、その土地で酪農を始める計画だった。
ケニア
列車でナイロビに向かう途中、カレンは無作法なデニス・フィンチと出会った。初老の年齢のハンターだった。
カレンが農園に到着してみると、ブロルはカレンに無許可で農園でのコーヒー栽培を決めていた。
カレンはブロアとの簡単な結婚式を挙げ、ブリクセン男爵夫人となる。夫婦関係は最初からすれ違ってしまうが、やがてブロアを愛するようになっていく。
カレンは、植民地の英国人達と知り合い、友人となる。だが、上流階級に嫌気をさしたカレンは、召使いや農園の作業員として雇った地元の先住民族との交流を深めていく。
カレンはデニスとの再会を果たした。ライオンに襲われそうになったカレンをデニスが救ったのだ。そして、カレンはデニスと親友で商人のバークレーと過ごす時間を楽しむようになる。
第一次世界大戦
第一次世界大戦が勃発した。
植民地の住人はイギリス軍を支援することで団結した。ブロアもイギリス軍ではなかったが、イギリス軍として参戦した。
遠く離れた地にいるブロルからカレンに伝言が届いた。街にいる白人に食糧を届けさせるよう手配しろという内容だった。届け先のナトロン湖は奥地にあり、地理に詳しくない白人には困難な道だった。カレンは先住民族の召使いたちの協力を得て、自ら食糧を運搬した。
運搬の途中、カレンは従軍中のデニス、バークレーと偶然出会う。そして、デニスからコンパスを贈られ、旅のアドバイスを受けた。
カレンらはライオンに襲われる。カレンたちは、何とかライオンを撃退した。代償は牛を一頭だった。カレンらは見事食糧を軍に届けることに成功した。
病
カレンは久しぶりにブロルと会って楽しかったが、街に戻ったカレンは体調不良に苦しんだ。診断結果は梅毒、ブロルから感染したものだった。
カレンは治療のためデンマークに戻った。ヒ素投薬による辛い闘病が必要だった。ブロアはカレンがいない間、農場の世話をすることに同意した。
実家での療養の末、病気は完治するが、子供は望めなくなってしまった。
カレンがケニアに戻った頃、第一次世界大戦は終わりを迎えようとしていた。街はお祭り騒ぎとなり、カレンはデニスと再会する。
終戦後
戦争が終わり、コーヒー豆の値が下がり始めていた。農場経営は苦しくなっていく一方だった。
ある日、カレンが家に戻るとデニスが蓄音機でモーツァルトを流していた。サファリの仕事を始めようと考えているデニスは、無理やりにカレンをサファリに連れ出した。そして、美しいアフリカの風景とデニスが語るアフリカの話に、カレンは徐々に笑顔を取り戻した。
重い病のためにバークレーがこの世を去った。葬式に行くと、バークレーの恋人で原住民の女性が葬式を眺めている様子を目にした。バークレーに心から愛されながらも、参列を許されなかったのだ。
カレンは、子供が産めなかったが、子供は好きだった。カレンは、学校を創って、読み書き・算数・多少のヨーロッパ式の習慣を子供たちに教えることを決めた。
農園の近くにデニスが操縦する一台の飛行機が着陸した。デニスはカレンを乗せアフリカの大地を見渡す旅へと出かけた。
デニスとの仲はより一層深いものとなり、学校についても長老の後押しが得られ、カレンは公私ともに充実した毎日だった。
デニス
浮気性のブロアは変わらず、カレンは愛想を尽かし、ブロアを家から追い出した。
カレンとデニス・フィンチ・ハットンとの仲が深まり、愛し合うようになっていた。デニスはカレンの家に移り住み、愛を育んだ。
カレンは、デニスのことを、アフリカそのもののように、手にすることも手なずけることもできない人なのだと知る。デニスは自由と自然を愛し、束縛を嫌った。カレンは結婚を望んだが、デニスは望んでいなかった。
カレンのコーヒー農場は経済的に苦しかった。銀行の融資に頼るようになっていた。農場は、ようやく良い収穫を上げるようになってきた。だが、突然の火事により何もかもが焼け、カレンは全財産を失ってしまう。
カレンは雇っていた原住民の移住先を急いで探さなければならなかった。カレンが向かったのは、新たに赴任したケニアの総督だった。上流階級の人々で賑わうパーティで跪き、総督に移住先の検討を頼み込んだ。カレンの請願は総督の夫人の心を動かした。
財産を失う
無一文になって、カレンはデニスとの別れも決心した。そして、カレンはアフリカを離れデンマークの故郷に戻る用意を始める。カレンは、家を空っぽにして、自分のすべての贅沢品を売り払った。
愛すべき召使いたちとの別れを済ませ、カレンは何もなくなった屋敷で一人夕飯を食べていた。その夜デニスがやってきて、お互いの大切さを再確認した二人だったが、最後にダンスをして別れを受け入れる。
デニスは、数日後飛行機でカレンを送ると言って出ていった。カレンの帰国の旅の出発点となるモンバサまで、飛行機で送ると約束したのだった。
約束の日にカレンの前に現れたのはデニスではなくブロルだった。デニスは飛行機事故で帰らぬ人となってしまったという。
アフリカを去る
全てを失い、カレンはンゴング・ヒルズでの葬儀に参列する。デニスに代わって、カレンの召使いの長であるファラが、カレンをモンバサ行き列車に乗る駅へ送った。
帰国後、カレンの元にアフリカの友人から一通の手紙が届いた。デニスの墓にしばしばライオンが寝そべったりしているというのだ。墓の周辺は地ならしされ台地となり、ライオンには格好の場所なのだった。
カレンは後に作家・語り手となり、再びアフリカに戻ることはなかったが、アフリカでの経験について執筆した。1934年、I・ディネーセンの名で文壇に登場した。
映画情報(題名・監督・俳優など)
愛と哀しみの果て
(1985年)
製作 / シドニー・ポラック
製作総指揮 / キム・ジョーゲンセン
原作 / イサク・ディーネセン,ジュディス・サーマン,エロール・トルゼビンスキー
脚本 / カート・リュードック
撮影 / デヴィッド・ワトキン
衣装デザイン / ミレーナ・カノネロ
音楽 / ジョン・バリー
出演
カレン / メリル・ストリープ
デニス / ロバート・レッドフォード
ブロア / クラウス・マリア・ブランダウアー
コール / マイケル・キッチン
ファラ / マリック・ボーウェンズ
カマンテ / ジョセフ・シアカ
フェリシティ / スザンナ・ハミルトン
映画賞など
アカデミー賞
- 作品賞
- 監督賞
- 脚色賞
- 作曲賞
- 録音賞
- 美術賞
- 撮影賞
ゴールデングローブ賞
- 作品賞(ドラマ部門)
- 助演男優賞
- 作曲賞
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