2024年の大河ドラマの舞台は平安時代、主人公は紫式部です。「源氏物語」の作者として知られます。演じるのは吉高由里子さんです。
紫式部が活躍した時代は、藤原道長が活躍した時代と同じになります。
藤原道長は、藤原氏摂関政治の最盛期を築きました。演じるのは柄本佑さんです。
それもあってか、ドラマの最初から藤原道長との深いつながりが描かれます。
このドラマは、従来とは異なる平安貴族像を描き出そうとしています。
王朝の絵巻物を描いたドラマではないということです。
第1回からそれが伝わってきます。
テンポも展開も良い感じで進みます。
ドラマの舞台となる時代については下記にまとめています。ご参照ください。
「平安時代(藤原氏の台頭、承平・天慶の乱、摂関政治、国風文化)はどんな時代?」
昨年の「どうする家康」は、演出が性に合わず早々に脱落してしまいました。脚本云々以前の問題だったように思います。
「どうする家康」の演出が頭に残っているため、「光る君へ」も恐る恐る見始めました。
今回の脚本は大石静氏のオリジナルでづ。2006年の大河ドラマ「功名が辻」でも脚本を担当しました。
今回の時代考証は倉本一宏氏です。
大河ドラマ放映時に肩書は、国際日本文化研究センター教授 兼 総合研究大学院大学先端学術院先端学術専攻国際日本研究コース教授です。
専門分野は日本古代史、古記録学。平安貴族の政治・文化・社会・宗教も専門としています。
このドラマに合わせた、倉本一宏の「紫式部と藤原道長」が参考になります。
あらすじ/ネタバレ/雑学
第1回 約束の月
安倍晴明が登場しました。ドラマでは「あべ の はるあきら」と読まれていました。一般的には「あべ の せいめい」で知られる陰陽師です。
一般的には「せいめい」ですが、これは音読みであり、実際の発音は分かっていないそうです。
安倍晴明に代表される陰陽師ですが、陰陽道はドラマの舞台となる平安時代の中期をピークに、徐々に歴史の表舞台から消えていきます。
時期を同じくして鬼の出現も減っていくようです。その代わりに天狗が台頭してゆきます。
ドラマの舞台となる時期は、鬼が跋扈した時期でした。
第1回目にあえて安倍晴明を登場させたのは、そのうち酒呑童子討伐や土蜘蛛退治の説話で知られる源頼光を登場させる予定なのでしょうか…。
鬼については、下記の本が参考になります。
ドラマでは、散楽(さんがく)の様子が描かれました。散楽は、時代が下っていくと猿楽、能、狂言へと発展していきます。
ドラマでは藤原氏を風刺した筋立の演劇に、アクロバットな演出がなされました。
また、第1回では、三郎(=藤原道長)の次兄・藤原道兼が粗暴な人物として描かれ、弓の修練をするシーンが描かれたり、馬に乗るシーンなど、武芸を好む人物として描かれました。
平安貴族というと、牛車に乗ってゆっくりと優雅に街を巡るというイメージがありますが、必ずしもそうではなかったようです。
藤原道兼がまひろの母ちはやを刀で突きさすショッキングなシーンが話題になりましたが、日本刀の反りが生まれたのがこの平安時代でした。
第1回から藤原宣孝が登場しました。まひろの父の友人でもある、気の良い親戚のおじさんです。
将来の夫になるとは、この時は誰も思っていなかったでしょう。
第2回 めぐりあい
第2回でまひろと道長が再会しますが、それぞれの立場が変わってきていますので、物語の状況報告の意味合いが強かったように思います。
タイトル通りの「めぐりあい」です。ドラマの本格的な幕開けです。
まひろは15歳になり、代筆仕事をしています。本人に代わって恋の歌を書いてあげる仕事です。
平安時代は上手な和歌が作れるかどうかが恋愛の始まりでした。「伊勢物語」の第107段に在原業平が歌を代筆する場面が描かれています。
とはいえ、職業として代筆屋があったのかは…。
さて、父・藤原為時は東宮・師貞親王の教育係になっています。
師貞親王はのちに花山天皇となります。虚実ない交ぜでしょうが、問題のある人物だったようです。
三郎も成人して藤原道長となり、官職を得ました。姉の詮子は帝との間に皇子・懐仁親王をもうけています。
道長の父・兼家は道兼を動かし円融天皇が退位するよう陰謀を計ります。
兼家は詮子に、懐仁親王と共に実家に戻るように勧めます。懐仁親王を人質に、円融天皇に退位を促すというのです。
ですが、この頃の貴族は、夫が妻のもとに通う妻問婚が多く、婚姻生活の中心は妻の家にあり、子も妻の家で養育されました。
天皇の外祖父が摂関として権力を握ったのは、こうした生活習慣によるところが大きかったのです。
この回で藤原道長と長いこと政治の場で一緒になる人物が登場します。藤原実資(ふじわら の さねすけ)です。
資産家であり、一流の学識人であり、権力に媚びない、筋を通す良識人だったようです。
今後ドラマでの立ち位置がどうなっていくのかが楽しみです。
第3回 謎の男
検非違使の下部である放免に追われる男が「まひろ」にぶつかります。
まひろは、男を助けるために別の男を指さしますが、指した男が三郎だったので、まひろは大慌てです。
まひろにぶつかってきた男は何者か?この回の最後に分かります。
この回では、「源氏物語」の第2帖「帚木(ははきぎ)」の「雨夜の品定め」で、光源氏や頭中将たちが女性の品評する場面に似たシーンがありました。
さて、まひろは左大臣・源雅信の娘・倫子の集まりに参加することになりました。
集まりでは「偏継(へんつぎ)」という文字遊戯が行われていました。
偏継は、漢字の旁(つくり)を示して、これに偏をつけて漢字を完成させる遊びです。
源倫子は、藤原道長の嫡妻となりますが、これまでの3回で藤原道長とまひろが相思相愛の関係であることが分かっています。
まひろが源倫子と近づくことで、藤原道長との関係性がどのように変わっていくのかが見どころになりそうです。
第3回のユースケ安倍晴明とロバート藤原実資ですが…。
安倍晴明は、円融天皇に譲位を提案するなど、何やら腹黒い一面が垣間見えました。
これまで様々に描かれてきたヒーロー晴明とは異なり、ダークサイドに堕ちたヴィラン晴明として描かれるのかもしれません。
一方の藤原実資は、女房たちを敵に回してしまって「これからやりにくくなった」とボヤいていましたが、円融天皇を思う心には、誠実さが漂っていました。
対照的な二人の今後に目が離せません。
第4回 五節の舞姫
円融天皇が譲位し、花山天皇が即位しました。
花山天皇の即位によって、まひろの父・藤原為時が12年ぶりに官職を得ました。
三郎(=藤原道長)はまひろが藤原為時の娘であることを知ります。そして、自分が右大臣・藤原兼家の息子とであることを伝えようとしますが、その時にはできませんでした。
タイトルの五節(ごせち)の舞姫とは、次の通りです。
――「五節の舞」とは、どのようなものでしょうか?
朝廷の儀式の中で、最も格が高いものの一つが節会(せちえ)という天皇主催の行事です。新嘗祭(しんじょうさい)、大嘗祭(だいじょうさい)のあとに豊明節会(とよあかりのせちえ)という饗宴(きょうえん)が行われるのですが、この際に「五節の舞」という4~5人の未婚の舞姫の舞を神にささげる神事が行われました。新嘗祭とは、神様に一年の新米をささげて収穫を感謝し、その供え物を賜って自ら食す儀式です。そして大嘗祭とは、天皇に即位してから初めて行う新嘗祭のことをいいます。
――ドラマでは花山天皇の即位のあとに行われたので、大嘗祭のあとに行われた「五節の舞」ということになるのですか?
永観2年(984)に行われたのは新嘗祭になります。準備も必要となるので、急な事情で天皇が即位した場合には、その年ではなく翌年に大嘗祭が行われるようなこともありました。――なるほど。舞姫の数は決まっていたんですか?
新嘗祭のときは4人、大嘗祭のときは5人というのが基本となりますが、さまざまな事情で欠員が出て3人となったこともあるようです。公卿(くぎょう)の枠とそれ以外(殿上人[※注1]や受領[※注2])の枠があり、今回のまひろは公卿の娘である源倫子の代役として、公卿枠で舞姫の一人に選ばれたという設定になります。
【注1】殿上人(てんじょうびと)… 宮中の内裏清涼殿の殿上間(てんじょうのま)に昇ること(昇殿)を許された人。四位(しい)・五位(ごい)の中で特に許された者、および、六位(ろくい)の蔵人(くろうど)。
【注2】受領(ずりょう)… 任命された国に自ら下った国司の最高責任者。
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/blog/bl/ppzGkv7kAZ/bp/p5rNYxEe45/
この五節の舞の時に、まひろは三郎が藤原兼家の息子であることを知り、母ちはやを殺した藤原道兼の弟であることを知り、ショックを受けます。
第4回のロバート藤原実資は、新たに即位した花山天皇から蔵人頭に遺留されますが、頑なに固辞します。代が替わると、交代するのが習わしだからです。
固辞する藤原実資に花山天皇は癇癪をおこし、近習の烏帽子を取ります。「鎌倉殿の13人」でも描かれましたが、この時代、髻(もとどり)は隠すのが当たり前で、人に見られることすら嫌っていたようです。
天皇が烏帽子を取って暴れる様子に、藤原実資は唖然とするのでした。
第5回 告白
五節の舞の時に、まひろは母ちはやを殺した藤原道兼を見て、そして三郎が道兼の弟・道長である知り、ショックで倒れてしまいます。
道長はまひろが倒れたことを心配して会おうとします。そして、まひろは母が道長の兄・道兼に殺された事を話します。
しかし、まひろは、母ちはやが死んだのは自分のせいだと悔やんでも悔やみきれない悲しみを告白しました。
第5回のロバート藤原実資ですが、結局のところ蔵人頭として残りました。
ですが、帝の政に対しては、全く斟酌するつもりはありません。権力には媚びない人なのです。
一方、ユースケ安倍晴明は右大臣・藤原兼家に呼ばれて懐妊した女御を呪詛するように命ぜられます。
いったんは呪詛するのを断るも、その場には関白をはじめとした政権中枢の者が揃っており、その圧力に負けてしまうのでした。
蜻蛉日記の作者・藤原寧子が登場しました。藤原兼家の妾で藤原道綱の母です。
なかなかの野心家で、藤原兼家の二男である息子・藤原道綱の出世を兼家に頼み込みます。
しかし、嫡妻腹ではないことから、兼家は道綱に藤原道隆・道兼・道長の三兄弟とは違うと釘さしました。
第6回 二人の才女
タイトルから、この回で誰が登場するのかが分かります。
紫式部と常に対比される清少納言(ドラマでは「ききょう」)です。演じるのはファーストサマーウイカさんです。
二人が出会うのは、藤原道隆が主宰する漢詩の会です。この漢詩の会は、のんきにお題に即して漢詩を披露する会ではありません。政治の場です。
花山天皇の側近・藤原義懐は、右大臣・藤原兼家を排除しようと動いていました。それに気づいた藤原道長は兄・道隆にそのことを告げ、漢詩の会が開かれることになりました。
藤原義懐が、仲間を作るために酒宴を催したのとは、大きく異なります。
同じ政治でも、やり方や考え方が全く異なる様子が描かれました。
さて、この回で、藤原道長は二人の人物から、左大臣・源雅信の娘・倫子と結婚するように迫られます。
父・藤原兼家と姉・藤原詮子です。それぞれの思惑は異なりますが、同じことを道長に求めたのは面白かったです。
そうした二人にあきれる道長でしたが、漢詩の会では、まひろと心を通わせる詩をうたいました。白楽天のものです。
賜酒盈杯誰共持
宮花滿把獨相思
相思只傍花邊立
盡日吟君詠菊詩
そして、次の歌をまひろに送ります。
ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 恋しき人の 見まくほしさに
第7回 おかしきことこそ
忯子を呪詛したユースケ安倍晴明は、藤原兼家にやりすぎだと言われますが、自分を侮れば右大臣家も危ないですよと脅しをかけます。すると、ある夜、藤原兼家は悪夢を見るのです。
偶然なのか、それとも安倍晴明の力によるものなのか…。
地団駄踏んだロバート秋山・藤原実資が良かったです。
花山天皇のお気に入り藤原義懐に出世競争で負けたことに納得いかず、妻の桐子に愚痴をぶつけますが、桐子には相手にされません。
私に言わないで日記に書いてください、と言われ、日記には書かない、と啖呵を切ったものの、日記「小右記」に書いてしまう藤原実資でした。
それにしても、蹴鞠の下手なこと…。藤原実資は蹴鞠の名手とされていますので、怒りのあまり、ということでしょうか。
『小右記』には…
寛和元年(985)9月14日条
◆◇◆◇◆
小除目が行われた。三位(さんみ)義懐を参議に任じた。欠員はなかったのであるが、臨時に任じたものか。奇怪としなければならない。公卿(くぎょう)の定員は16名である。ところが、19名となるのはどうであろう。
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/blog/bl/ppzGkv7kAZ/bp/p98OoMvBVP/
この回の注目は「打毬(だきゅう)」でしょう。
紀元前6世紀のペルシャを起源とし、イギリスに伝わってポロとなった競技です。日本にはイギリスよりも数百年も早く伝わって「打毬」となりました。
平安時代には年中行事として宮中で行われていました。江戸時代になると、武芸の鍛錬の一環として推奨され、全国に広まったそうです。
現在は宮内庁のほか、山形県山形市の豊烈神社(ほうれつじんじゃ)や、青森県八戸市の長者山新羅神社(ちょうじゃさんしんらじんじゃ)で受け継がれています。
第8回 招かれざる者
985年(寛和元年)、花山天皇&藤原義懐と右大臣・藤原兼家の権力闘争がし烈さを増していました。
藤原義懐に対抗するためには、関白、左大臣、右大臣が結束しなければなりません。藤原兼家は源雅信に、三男・道長を倫子の婿にどうだろうかと提案しますが、源雅信は煮え切りません。
そうした中、藤原兼家が倒れます。
藤原道隆は安倍晴明を呼び、祈祷させますが、効果はありません。同時に僧も呼んで祈祷させると、招かれざる者が降りてきました。
その者は忯子を名乗り、藤原兼家への恨みをぶつけました。
こうした様子を花山天皇に報告したのは、安倍晴明でした。藤原兼家から呪詛を依頼され忯子を呪い殺した安倍晴明が、いけしゃあしゃあと花山天皇に報告するのです。
まひろの家にも、招かれざる者が客としてやってきます。母を刺し殺した藤原道兼です。まひろはグッとこらえ、琵琶を聞かせ、大人の対応でやり過ごします。
散楽一座がそろそろ都から去ろうとしていました。去る前にひと稼ぎするために右大臣家の東三条殿に忍び込みます。
ちょうど屋敷にいた道長は招かれざる者が直秀であることを知り愕然とします。
さて、その直秀ですが、京都は山で囲われた鳥籠のような所と表現しました。いろんな解釈ができる良い表現だと思います。
第9回 遠くの国
藤原兼家の東三条殿に忍び込んで藤原道長らに捉えられてしまった直秀たち散楽の者たちは、検非違使に引き渡されます。
まひろは直秀らが盗賊であることを知り愕然とします。
直秀らは獄を出れば、遠くの国に流される予定です。
忯子を亡くして傷心の花山天皇を諫められる公卿の立場でないことを藤原実資は嘆きます。
藤原兼家の病は仮病でした。安倍晴明の祈祷中に目が覚めましたが、晴明の策略により、病で臥せっていることにしました。
藤原兼家は安倍晴明の策により、花山天皇を引きずり下ろすつもりです。
直秀らが流罪になると聞いていた道長とまひろでしたが、鳥辺野に送られたと聞いて慌てて駆け付けます。鳥辺野は葬送の地だからです。
鳥辺野は京の三大葬地の一つです。京の三大葬地とは「東の鳥辺野」「西の化野」「北の蓮台野」です。
内裏で不可思議なことが起きます。成仏できない忯子の呪いという噂が流れます。その噂を流しているのが安倍晴明でした。
そして忯子が成仏させられるのは花山天皇しかいないと言い、そのためには出家するしかないと言いました。
第10回 月夜の陰謀
花山天皇を帝位から引きずり下ろしたクーデターと、まひろと藤原道長のラブシーンが大きな柱として描かれた回でした。
クーデターは「寛和の変」と呼ばれます。
寛和2年6月23日(986年7月31日)に花山天皇の退位・出家します。ドラマでは安倍晴明が決行の日時を定めました。
花山天皇は忯子を成仏させるためには出家するしかないと心に決めます。そこに、藤原兼家の三男・藤原道兼が、自分も花山天皇と一緒に出家するからと後押しし、元慶寺(花山寺)に連れ出します。
鴨川の堤から元慶寺までの警護は清和源氏の源満仲と郎党たちが行ったとされます。
部門の家については、ドラマで説明もされませんでしたので、今後も描かれないのかも知れません。
花山天皇が安倍晴明の屋敷の前を通ったときの逸話があります。
安倍晴明は、花山天皇が退位するという天変の兆しがあるので、式神の一人を内裏に遣わそうとします。
式神が安倍晴明の家を出たところで花山天皇が過ぎていったので、式神はその旨を安倍晴明に伝えたそうです。
まひろと藤原道長の恋模様は、文通で進みます。道長→まひろへは和歌、まひろ→道長へは漢詩という形式です。
和歌への返事を漢詩にしたまひろの真意が分からない道長は藤原行成に聞いてみます。
すると、藤原行成は、和歌は人の心を見るものであり、漢詩は志を言葉に表すものであるので、何らかの志を詩に託しているではないかと推測しました。
さて、まひろは道長にどのような志を表明したのでしょう。
この回に、左大臣源高明の娘・明子が登場しました。後に藤原道長の妻となります。嫡妻ではありません。
第11回 まどう心
「寛和の変」で、まひろの父・藤原為時は官職を失うことになりました。このとき同時に官職を失うのが藤原実資です。
まひろは摂政となった藤原兼家に直談判しますが、自ら去った者に対して優しく手を差し伸べることはないと、門残払いを食らいます。
藤原宣孝は藤原兼家に直談判したことに驚きを隠せませんでした。そして、婿を取るように勧めました。
東三条殿では藤原兼家、藤原道隆、その嫡男・伊周らに、安倍晴明も招かれて宴が催されようとしていました。
源雅信の娘・倫子は、まひろに狙っている殿方がいると言いました。相手の名は明かしません。
藤原道長はまひろのことを忘れられず、妻にならないかとまひろに言います。身分の差のため、北の方(正妻)にはなれません。
度重なる不運にまひろはショックを隠し切れません。
紀行で紹介された「一条戻橋」は、渡辺綱に腕を斬られた鬼が、腕を取り戻すという、鬼の逸話で知られます。
渡辺綱は源頼光の四天王の一人です。そして、源頼光は、藤原兼家、藤原道長、藤原頼通の三代に仕えた伝説の武将です。
第12回 思いの果て
盛りだくさんの回となりました。
父・為時の妾なつめ(高倉の女)の娘さわが、まひろと出会い、友になっていきます。
そして、様々なところで縁談が進んでいきます。
藤原宣孝が藤原実資をまひろの婿にと考えますが、実資は赤痢におかされており、その様子を見た宣孝は、あれはだめだ、と次を探しはじめます。
実資は「鼻くそのような女との縁談ありき」と日記にしたためます。藤原宣孝からの春画に興奮する藤原実資の姿に聖人君主らしさはありませんでした。
藤原道長とまひろは、互いの気持ちを添い遂げるためにどうすればよいかを考えていました。
道長は、藤原道綱から、妾はいつ来るともしれぬ男を待つしかない身ゆえ、常につらいのだ、と言われ、まひろの気持ちが少しわかりました。
藤原兼家は、道長を左大臣・源雅信の娘・倫子に婿入れするために源雅信にお願いします。
倫子は、道長を慕っていましたので、何が何でも道長を婿にしたいと、父・源雅信にお願いします。
娘から道長を慕っていると言われ、源雅信は動揺を隠せません。動揺を越して狼狽してしまいます。源雅信役の益岡徹さんの演技が秀逸でした。
同じころ、道長の姉・詮子は、醍醐天皇の孫・源明子を道長の妻にしたいと考えていました。
明子の父・源高明は、藤原兼家に左遷させられ、明子は兼家に恨みを抱いていました。兼家の命を奪い、父の無念を晴らすため、道長の妻になることを選びます。
藤原公任の父・頼忠は太政大臣を降りると言い、摂政家の二男・道兼に近づけと公任に言い残します。
道長はまひろに源倫子の婿になることを告げます。まひろは、道長の妾になっても良いと考えるようになっていましたが、道長の相手が倫子と知って、妾になることを諦めました。
第13回 進むべき道
この回から中関白家内の権力争いが始まります。
一条天皇の元服の加冠役を務めた摂政・藤原兼家は、息子たちを昇進させて政権の中枢に置きました。中関白家の絶頂期です。
元服した一条天皇に、藤原道隆の娘・定子が入内しました。それを面白く思わないのが道兼です。
一方、まひろの父・為時は官職を得られず、一家は貧しい暮らしが続いていました。
そうした中、藤原兼家に異変が起こり始めました。意味不明の事を言い始めたりするのです。
道隆と道兼は、兼家の亡き後の事に思いを巡らし始めますが、道長は兼家を心配します。
道長は兼家に、兼家の目指す政は何かと問います。
すると、兼家は、家のために行うのが自分の政だと言います。
この時期から「氏」→「家」への概念が現れてきたとも言われますので、それをセリフで表現したのでしょうか。
一方で、道長は民なくしては国家なしという考えを表明しました。「小右記」で藤原道長に批判的な記載が多いという藤原実資が、感心しながら頷くシーンが印象的でした。
春日大社は藤原氏ゆかりの神社ですが、春日大社の鹿は、鹿島神宮からやってきた鹿の子孫として知られます。鹿島神宮も藤原氏(中臣氏)ゆかりの神社です。
第10回から続くまひろと藤原道長の恋愛模様に若干間延びした印象を受けてしまいました。このテンポが続くと見続けるのが苦行になっていきそうです。