江戸時代年表(1603年~1868年)

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初代将軍 徳川家康 1603-1605

1603(慶長8)
徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開く
出雲の阿国、京都で歌舞伎踊初演
長崎奉行設置
秋田で仙北一揆
郷村掟を定める
諸大名に命じて江戸下町の建設を始める
1604(慶長9)
京都で女歌舞伎
糸割符制度(生糸の輸入法を定める)
朱印船の制度を定める
東海・東山・北陸の諸道を修理し一里塚を築く
1605(慶長10)
徳川家康、朝鮮国使を引見する
徳川家康、活字版「東鑑」を刊行(活字版印刷の盛行)

二代将軍 徳川秀忠 1605-1623

1605(慶長10)
徳川秀忠が2代目将軍となる
1607(慶長12)
徳川家康、駿府城に移る(江戸・駿府両政権時代~1616)
林羅山、将軍侍講となる
1608(慶長13)
姫路城天守閣を造営
1609(慶長14)
島津家久が琉球に出兵し、征服する
金銀貨の交換を金1両=銀50匁=京銭4貫文=永楽銭1貫文とする
オランダが商館を平戸に設置して貿易を始める
マードレ・デ・デウス号事件が起こる
己酉約条(日本と李氏朝鮮との間の貿易再開)
豊臣秀頼が方広寺大仏殿の再興を始める
1610(慶長15)
細川幽斎没し「古今伝授」絶える
1611(慶長16)
後水尾天皇即位
1612(慶長17)
岡本大八事件
オランダ国王が徳川家康にポルトガルの領土的野心を密告
禁教令(直轄領のみキリスト教の禁止)
1613(慶長18)
公家衆法度(勅許紫衣・諸寺入院の法度を定める)
イギリスが平戸で貿易を始める
禁教令 – キリスト教の禁止(全国)
慶長遣欧使節(伊達政宗が支倉常長をヨーロッパに派遣する)
西国諸大名が封内の検地目録を進上(各大名領で検地)
操り・浄瑠璃・三味線流行
1614(慶長19)
高山右近らキリシタン148名がマニラ・マカオに追放される
諸国に伊勢踊流行
方広寺の鐘銘事件が起こり、大阪冬の陣
1615(元和1)
大坂夏の陣(豊臣氏滅亡)…豊臣秀頼と淀殿が死去
一国一城令(一つの国に一つの城)
武家諸法度・禁中並公家諸法度(禁中并公家中諸法度)・諸宗本山本寺の諸法度
禁中並公家諸法度(天皇・公家の法令)
本阿弥光悦、京都に光悦村をつくり、町衆寛永文化の拠点となる
1616(元和2)
中国船以外の外国船の来航地を長崎・平戸に制限する
徳川家康が太政大臣になる
徳川家康が死去
1617(元和3)
徳川家康、東照大権現の神号を受く
吉原遊廓の開設を許可
「太閤記」
大坂に江戸積み油問屋成立
徳川家康が東照大権現の神号を受ける
日光東照宮が建立
1619(元和5)
御三家の成立(徳川頼宣を紀州和歌山に移す)
菱垣廻船の初め(境の船問屋が江戸廻船を始める)
上杉家の家老・直江兼続死去
1620(元和6)
徳川秀忠の娘・和子が女御になる(東福門院)
桂離宮造営始まる
諸大名に大阪城の修築を命じる
1621(元和7)
日本人の海外渡航・武器輸出など禁止
諸国に伊勢踊流行
1622(元和8)
元和の大殉教(キリシタン多数を処刑)
「信長記」

三代将軍 徳川家光 1623-1651

1623(元和9)
徳川家光が3代目将軍となる
イギリスが平戸の商館を閉鎖し、日本との交易を撤退
家康の小姓原主水などキリシタン50人を江戸の芝で処刑
1624(寛永1)
江戸に猿若座(のちの中村座)できる
スペイン船の来航を禁止する
1625(寛永2)
狩野探幽、二条城の襖絵を描く
1626(寛永3)
人身売買禁止
布類の尺度規則制定
各大名領の初期専売始まる
長崎奉行水野守信が踏み絵を始める
1627(寛永4)
吉田光由「塵劫記」
江戸に女歌舞伎流行
紫衣事件(朝廷の紫衣を巡る違反)
土居水也「清良記」
1629(寛永6)
紫衣事件
武家諸法度を改定
女舞・女歌舞伎禁止
キリスト教の発見の為に踏み絵を導入する
柿右衛門、染付白磁始める
明正天皇即位
1630(寛永7)
不受不施派を弾圧
寛永の禁書令(キリスト教関連の漢訳洋書の輸入が禁止)
寛永飢饉
山田長政がシャムで毒殺される
1631(寛永8)
海外渡航船に朱印状の他に奉書を交付(奉書船)を定める
江戸大坂商人糸割符に加入
1632(寛永9)
徳川家光が諸大名を集めて去就を試す
旗本諸法度を定める
1633(寛永10)
関東地方大地震
第一次鎖国令
六人衆を置く
黒田騒動
奉書船以外の海外渡航を禁止、5年以上の海外渡航者は帰国の禁止
1634(寛永11)
徳川家光上洛
寛永政治の時代始まる(~1651)
小堀遠州、二条城の茶室を完成
大名火消の制を定める
第二次鎖国令
長崎商人に出島を築かせる(36年完成)
譜代大名の妻子を江戸に常住させることとする
1635(寛永12)
500石積み以上の大船建造禁止
武家諸法度を改定し、外様大名に参勤交代を命じる
寺社奉行設置
評定所の条規を制定
仮名草子流行
加賀藩改作法開始
外国船の来港を長崎に限定し、日本人の渡航と帰国を禁止する
各大名の初期藩政改革が始まる
参勤交代
第三次鎖国令
1636(寛永13)
江戸・近江に銭座を設置
ポルトガル人を出島に移す
諸大名に江戸城の修築を命じる
第四次鎖国令
貿易に関わりがないポルトガル人を追放し、貿易関係者は長崎の出島に移住させる
1637(寛永14)
天草四郎らによる島原・天草一揆起こる(~38年)
五人組の規定を明確にする
松永尺五、私塾講習堂を開設
水戸・仙台で寛永通宝鋳造
1638(寛永15)
原城陥落
商船に限り大船建造解禁
大老職設置
お陰参り(伊勢参宮大流行)
1639(寛永16)
江戸城内に紅葉山文庫設立
第五次鎖国令(ポルトガル船の来航を禁止)
1640(寛永17)
寛永の大飢饉
1641(寛永18)
鎖国体制の完成、オランダ商館を平戸から長崎の出島へ移す(オランダと中国は幕府直轄の出島、朝鮮とは対馬藩、琉球は薩摩藩、アイヌは松前藩で貿易が行われた)
蘭船舶載の糸に糸割符適用
岡山藩が花畠学舎を作る(藩校の初め)
芸能界における家元制度ほぼ固まる
1642(寛永19)
譜代大名にも参勤交代を命じる
1643(寛永20)
田畑永代売買禁止令
新本田畑へ煙草・木綿・菜種の作付を禁止
「寛永諸家系図伝」
後光明天皇即位
1644(正保1)
国絵図、郷帳をつくらせる
風説書の初め(海外の情報を集めるため出島商館長に「オランダ風説書」を差し出させる)
1646(天保3)
江戸にキリシタン屋敷ができる
明の鄭成功が援兵を求めるが幕府は拒絶
1648(慶安1)
江戸市中諸法度を定める
農民の土地貸借を禁じる
松永尺五、尺五堂を開塾
1649(慶安2)
慶安御触書・検地条目制定
高野山学侶らの法度を定める
1650(慶安3)
お陰参り流行(~1651)
中江藤樹「翁問答」
1651(慶安4)
慶安事件(由井正雪、丸橋忠弥らによる浪人救済と幕府転覆計画)

四代将軍 徳川家綱 1651-1680

1651(慶安4)
徳川家綱が4代目将軍となる
末期養子の禁の緩和
1652(承応1)
承応の変(戸次庄左衛門の乱、承応事件)
江戸市中浪人調査
江戸に旗本奴・町奴流行
若衆歌舞伎禁止
1653(承応2)
東国に守随氏の秤、西国に神氏の秤の使用を布達
佐倉惣五郎、苛政を幕府に直訴
代表越訴一揆が各地で起こる
湯女風呂流行する
野郎歌舞伎始まる
1654(承応3)
後西天皇即位
1655(明暦1)
後水尾上皇が京都修学院離宮の造営を始める
山崎闇斎、京都に開塾
1656(明暦2)
江戸浅草に鋳銭座を設置
1657(明暦3)
徳川光圀、「大日本史」編纂に着手
明暦の大火(振袖火事)(江戸城本丸・二の丸をはじめ江戸の6割が焼失
江戸職人賃金を公定にする
水戸藩の徳川光圀が「大日本史」の編纂を始める(1906年完成)
水野十郎左衛門が幡随院長兵衛を殺す
1660(万治3)
伊達騒動(仙台藩の原田甲斐らによる御家騒動)
佐倉藩主・堀田正信が幕府政治を批判して改易
1662(寛文2)
若年寄設置
伊藤仁斎、古義堂を開塾
寛文延宝の政治が展開(~1680)
陶工の野々村仁清活躍
1663(寛文3)
武家諸法度改定、殉死を禁止
江戸市中の花火が禁止される
三都に定飛脚問屋成立
大阪・京都を結ぶ町飛脚ができる
霊元天皇即位
1664(寛文4)
評定所訴訟規定
寛文印知
1665(寛文5)
山鹿素行「山鹿語類」「聖教要録」
水野小左衛門守正が最初の盗賊改(関東強盗追捕)に任ぜられる
浅井了意「京雀」刊行
1666(寛文6)
諸国の農村に法度を公布
山鹿素行「聖教要録」により処罰
オランダ風説書(オランダ商館に提出させた海外事情の書類)
ヒマワリが中国より伝わる
岡山に閑谷黌創設、各藩で藩学創設続く
林羅山「童蒙抄」
1668(寛文8)
諸国の津留・特産物・枡の調査
京都町奉行を設置
1669(寛文9)
江戸枡を京枡に統一
不受不施派寺請禁ず
シャクシャインの戦い(アイヌと松前藩の戦い)
山鹿素行「中朝事実」
小石川後楽園完成
1670(寛文10)
林家「続本朝通鑑」
箱根用水がつくられる
1671(寛文11)
河村瑞賢が東廻り航路をひらく
1672(寛文12)
河村瑞賢が西廻り航路をひらく
熊沢蕃山「集義和書」
1673(延宝1)
分地制限令(田畑の分割相続の制限)
江戸京都越後屋呉服店開設
三井高利が江戸と京都に越後屋呉服店を開く
初代市川団十郎が江戸で荒事を演じる
赤本(草双紙の一)出る
談林俳諧流行
1674(延宝2)
新銭4貫文=金1両に定め、古銭の通用を禁止
関孝和「発微算法」
1678(延宝6)
初代坂田藤十郎が大阪で和事を演じる

五代将軍 徳川綱吉 1680-1709

1680(延宝8)
徳川綱吉が5代目将軍になる
堀田正俊が登用される
1681(天和1)
諸国へ巡見使を派遣
徳川綱吉が江戸に護国寺を建てる
下馬将軍酒井忠清が辞職する
畿内・関東飢饉
杉木茂左衛門が上州沼田領主の悪政を幕府に直訴する
天和の治
1682(天和2)
諸国高札立替え
勘定吟味役
井原西鶴「好色一代男」
八百屋お七の火事
1683(天和3)
華美衣服禁止
中山勘解由直守(鬼勘解由)が盗賊改・火附改になる。
三井高利、江戸に両替店
伊藤仁斎「論語古義」
近松門左衛門「世継曽我」初演
1684(貞享1)
貞享書上げ
河村瑞賢、淀川治水工事に着手
出版取締令公布
貞享暦採用
佐瀬与次右衛門「会津農書」
大老堀田正俊が江戸城中で若年寄稲葉正休に刺殺される
1685(貞享2)
徳川綱吉が最初の生類憐みの令を出す
1686(貞享3)
江戸大伝馬町木綿問屋成立
朝鮮貿易制限
林鳳岡ら「武徳大成記」
琉球貿易制限
井原西鶴「好色五人女」
熊沢蕃山「大学或問」
1687(貞享4)
生類憐みの令出す(以後頻発)
熊沢蕃山禁固(「大学或問」幕府の忌諱に触れる)
東山天皇即位
1688(元禄1)
井原西鶴「日本永代蔵」
美服禁令
柳沢吉保が側用人になる
長崎に唐人屋敷を作る
1689(元禄2)
松尾芭蕉が奥の細道の旅に出る
1690(元禄3)
ドイツ人ケンペルがオランダ商館付医師として来日
契沖「万葉代匠記」
湯島聖堂ができる
浮世草子盛行
1692(元禄5)
諸役人の役料を制定
質物・借金の規則を出す
鴨祐之「日本医史」
東大寺大仏修復、開眼供養
徳川綱吉が「論語」を講義
1694(元禄7)
徳川綱吉が生類憐みの令を数度出す
柳沢吉保が老中になる
1695(元禄8)
西川如見「華夷通商考」
金・銀貨を改鋳する
武蔵国中野などに犬小屋ができる
1696(元禄9)
改鋳金銀交換規則を出す
宮崎安貞「農業全書」
大阪の商人淀屋辰五郎が驕奢のため闕所となる
1697(元禄10)
旗本知行制改正(地方直し)
酒造高調査5割の運上賦課
1698(元禄11)
20年以上の小作地を永小作とする
1701(元禄14)
赤穂藩主・浅野長矩が吉良義央を江戸城中で傷つける
1702(元禄15)
新井白石「藩翰譜」
改定全国絵図できる
赤穂浪士大石良雄ら吉良義央を討つ
松尾芭蕉の俳諧・紀行文「奥の細道」ができる
1703(元禄16)
近松門左衛門の「曾根崎心中」が竹本座で初演
室鳩巣「赤穂義人録」
1705(宝永2)
伊勢お陰参り大流行
生類憐みの令が数回出る
1707(宝永4)
大坂で銭相場騰貴
幕府、藩札を禁止
宝永大噴火(宝永山ができる) 
1708(宝永5)
貝原益軒「大和本草」「大和俗訓」
宝永通宝の大銭発行

六代将軍 徳川家宣 1709-1712

1709(宝永6)
徳川家宣が6代目将軍となる
新井白石登用(正徳の治始まる)
東大寺大仏殿再建
幕府、酒屋運上、箔座を廃止
熊沢蕃山「集義外書」
新井白石と間部詮房による政治改革
生類憐みの令廃止
大銭の通用禁止
中御門天皇即位
密航してきたイタリア人宣教師シドッチを新井白石が尋問
1710(宝永7)
金銀改鋳(乾字金など)
武家諸法度を改定
1711(正徳1)
新井白石が朝鮮使節の待遇を改める

七代将軍 徳川家継 1713-1716

1713(正徳3)
徳川家継が7代目将軍となる
貝原益軒「養生訓」
天領の大庄屋制度廃止
長崎の町民ら米商を襲う(打毀の始まり)
新井白石「采覧異言」
生糸の生産を奨励する
1714(正徳4)
江島生島事件
1715(正徳5)
長崎貿易の海舶互市新例出る
新金銀通用促進のための組合
近松門左衛門「国性爺合戦」を竹本座で初演
新井白石「西洋紀聞」
長崎貿易を制限して金銀の海外流出を防ぐ

八代将軍 徳川吉宗 1716-1745

1716(享保1)
徳川吉宗が8代目将軍となる
徳川吉宗が新井白石、間部詮房らを罷免
享保の改革
新井白石「古史通」「折たく柴の記」(自叙伝)
1717(享保2)
大岡忠相が江戸町奉行となる
1718(享保3)
熊本藩で藩政改革始まる(各藩で中期藩政改革)
1720(享保5)
キリスト教以外の漢訳洋書輸入を解禁
江戸に大火がおこり江戸町火消いろは四十五組が作られる
1721(享保6)
田中丘隅「民間省要」
分地制限令再令
江戸の商人職人組合を結成
目安箱設置
小石川薬園を江戸に作る
1722(享保7)
質流地禁止令公布
諸大名に上米を課し、参勤期間を緩和
越後に質地騒動起こる
出版書籍業者に取締令を出す
定免法
1723(享保8)
出羽に質地騒動起こる
人口調査を6か年ごととする
足高の制
質流地禁止令撤回
江戸大火のため瓦屋根を奨励
情死の罰則を定め、歌舞伎・浄瑠璃の心中物を禁止
1724(享保9)
米、水油などの問屋に組合結成を命じる
倹約令
1726(享保11)
美作国津山藩の農民が一揆をおこす(山中一揆)
1727(享保12)
荻生徂徠「政談」
1728(享保13)
荷田春満「創学校啓」
三井高房「町人考見録」
1729(享保14)
太宰春台「経済録」
関東農村に菜種作を奨励
「女大学」
石田梅岩が京都で心学の講義を始める
浄岸院竹姫(五代将軍徳川綱吉の養女)が薩摩藩に輿入れ
天一坊事件が起こる
1730(享保15)
上げ米の制をやめ、参勤交代を元に戻す
京都の大火で西陣が損害をうける
藩札の発行を再許可
1732(享保17)
室鳩巣「駿台雑話」
享保の大飢饉(西日本にイナゴが大発生)
西海・畿内蝗害
1733(享保18)
江戸市民が米問屋を襲撃(各地で打毀が頻発)
各藩で専売制広まる
徳島藩、葉藍専売
1734(享保19)
サツマイモを小石川薬園と吹上庭園に植えさせ、青木昆陽に栽培法を広めさせる
琉球で蔡温の改革始まる
1735(享保20)
青木昆陽「蕃薯考」
桜町天皇即位
1736(元文1)
正徳金銀を改鋳し、文字(元文)金銀を鋳造
米の公定価格を廃止
落書、雑説などの政治批判を禁止
1737(元文2)
根岸鎮衛生まれる
1738(元文3)
大坂に銅座設置
西陣織技術、桐生に伝わる
1739(元文4)
ロシア船が陸奥や安房沖に出没
沿岸諸藩に命じ、海防を厳しくさせる
石田梅岩「都鄙問答」刊
1740(元文5)
摂津の村々連合し肥料商人を訴える(国訴の始まり)
1742(寛保2)
公事方御定書を制定
関東地方、水害甚大
1744(延享1)
「御触書寛保集成」
延享年間、常磐津節始まる
神尾春央ら畿内東海の天領を巡察
天文台を江戸の神田佐久間町に設ける

九代将軍 徳川家重 1745-1760

1745(延享2)
徳川家重が9代目将軍となる
長谷川宣以が生まれる
1746(延享3)
竹田出雲ら「菅原伝授手習鑑」初演
1747(延享4)
桃園天皇即位
1748(寛延1)
加賀騒動 – 前田家のお家騒動
竹田出雲の「仮名手本忠臣蔵」が竹本座で初演
1749(寛延2)
定免法を全面的に施行する
1754(宝暦4)
山脇東洋・小杉玄通ら、初めて囚人の屍体を解剖
郡上藩農民強訴、各地全藩一揆
久留米で一揆がおこる
薩摩藩が木曾川の堤防工事に着手
宝暦治水事件 – 治水工事で多くの薩摩藩士が自害する
1755(宝暦5)
安藤昌益「自然真営道」
宝暦飢饉(奥羽地方冷害、餓死者多数)
1758(宝暦8)
宝暦事件(尊王論者の竹内式部の追放)
全国的に藩校が広まる
1759(宝暦9)
山県大弐「柳子新論」
松平定信生まれる

十代将軍 徳川家治 1760-1786

1760(宝暦10)
徳川家治が10代目将軍となる
1762(宝暦12)
後桜町天皇即位
1763(宝暦13)
平賀源内「物類品隲」
煎茶道が盛行する
本居宣長が伊勢松坂で賀茂真淵に入門
1764(明和1)
伝馬騒動
天狗騒動(関東地方を中心に助郷反対の大百姓一揆)
平賀源内が火浣布を作る
1765(明和2)
円山応挙「雪松図」
賀茂真淵「国意考」
鈴木春信、錦絵を完成
1767(明和4)
明和事件(尊王論者の山県大弐・藤井右門を処刑)
田沼意次が側用人になる(田沼時代のはじまり)
1768(明和5)
関東8か国に綿実買受問屋を設置
上田秋成「雨月物語」
1770(明和7)
後桃園天皇即位
1771(明和8)
伊勢神宮へのお陰参りが流行
池大雅、蕪村合作「十便十宜画冊」
唐津藩で虹の松原一揆がおこる
長谷川平蔵宣雄が火付盗賊改になる
本居宣長「直毘霊」
1772(安永1)
行人坂火事
田沼意次が老中になる
1773(安永2)
三浦梅園「価原」
川柳・洒落本・黄表紙流行
1774(安永3)
前野良沢・杉田玄白らが「解体新書」を出版する
1775(安永4)
長久保赤水「日本輿地路程全図」
スウェーデンの植物学者ツンベルグが来日
三浦梅園「玄語」
1776(安永5)
平賀源内がエレキテルの器械を完成させる
1777(安永6)
「先代萩」初演
1778(安永7)
ロシア船厚岸来航、松前藩に通商要求
西35か国斗量濫用を戒む
1779(安永8)
松前藩、ロシア船の要求を拒否
光格天皇即位
塙保己一「群書類従」編纂に着手
1781(天明1)
天明絹一揆
各藩で藩学が設立される
1782(天明2)
下総印旛沼干拓に着手
1783(天明3)
工藤平助「赤蝦夷風説考」
大槻玄沢「蘭学階梯」
司馬江漢、銅版画の製作に成功
浅間山の大爆発
天明の飢饉(~1787)
1784(天明4)
佐野政言、田沼意知を刺す
江戸両替店を643株とする
1785(天明5)
蝦夷地調査隊を派遣する
1786(天明6)
最上徳内ら千島を探検
田沼意次が老中から失脚
林子平「海国兵談」

十一代将軍 徳川家斉 1787-1837

1787(天明7)
徳川家斉が11代目将軍となる
江戸・大坂などに打毀
松平定信、老中となる(寛政の改革開始)
寛政の改革
松平定信が老中筆頭となる
長谷川平蔵宣以が火付盗賊改役となる

米価が上がり、江戸・大阪などで打ち壊しがおこる

1788(天明8)
朋誠堂喜三二「文武二道万石通」刊
松平左金吾定寅が火付盗賊改方加役(助役)になる
1789(寛政1)
幕府「孝義録」の編纂開始
囲米の制
棄捐令
広大院茂姫が薩摩藩から十一代将軍徳川家斉に嫁ぎ、正室となる
クナシリ・メナシの戦い(蝦夷東部で起きたアイヌ人と倭人の戦い)
三浦梅園「贅語」
中井竹山「草茅危言」
恋川春町「鸚鵡返文武二道」
奢侈禁止令
1790(寛政2)
人足寄場を設置
寛政異学の禁
江戸で帰村奨励の触を出す
猿屋町会所を設置
寛政異学の禁(昌平黌において朱子学のほか異学を講義することを禁止)
江戸・石川島に人足寄場を作る
洒落本の版行禁止書籍出版取締令
1791(寛政3)
男女混浴を禁止
山東京伝、洒落本「仕懸文庫」などの刊行で手鎖50日の処罰
囲米奨励
異国船渡来処置令
江戸町法改正七分金積立制定
七分積金制
米国商船のレイディ・ワシントン号が和歌山県串本町に寄港
1792(寛政4)
ロシアの使節ラクスマンが根室に来て通商を求める
「海国兵談」を絶版にし、林子平に蟄居を命ずる
海防を厳重にし始める
尊号事件
林子平「海国兵談」出版禁止
1793(寛政5)
松平定信失脚
蘭学者が江戸でオランダ正月を祝う
1795(寛政7)
長谷川平蔵宣以死去
1796(寛政8)
司馬江漢「和蘭天説」
浮世絵師の東洲斎写楽活躍
1798(寛政10)
女師匠が男に教えることを禁止
本居宣長「古事記伝」
諸藩の米札濫発を禁止
根岸肥前守鎮衛が南町奉行になる
近藤重蔵がエトロフ島に「大日本恵土呂府」の標柱を立てる
志筑忠雄「暦象新書」
本多利明「西域物語」
1799(寛政11)
「寛政重修諸家譜」の編纂開始
蝦夷地を直轄領とする
江戸・大坂で打毀
藤田幽谷「勧農或問」
米価騰貴
1800(寛政12)
伊能忠敬、蝦夷地を測量する
女人の富士登山を許可
1801(享和1)
「鎖国論」(ケンペルの「日本見聞記」の抄訳)
植村文楽軒、文楽座の基礎をつくる
1802(享和2)
蝦夷奉行を箱館奉行と改称
化政文化時代始まる
十返舎一九「東海道中膝栗毛」
1803(享和3)
アメリカ船が長崎に来て通商を求める
1804(文化1)
ロシアの使節レザノフが長崎に来て通商を求める
西35か国の秤を検査
絵草紙に対し禁令を出し、喜多川歌麿、処罰される
諸国豊作
徳川家斉の文化・文政時代始まる
1805(文化2)
レザノフの要求拒否
銀座のほか、灰吹銀・潰銀を売買することを禁止
関東取締出役を設置
女浄瑠璃を禁止
フェートン号事件(イギリス軍艦フェートン号が長崎港に侵入し、オランダ人を捕らえる)
華岡青洲(随賢)、初めて麻酔剤を用い乳癌を手術
北辺警備の強化に力を入れる
1807(文化4)
「新訂万国全図」
加藤民吉、染付磁器開始
1808(文化5)
間宮林蔵ら樺太探検
イギリス軍艦フェートン号長崎で薪水を要求
江戸湾岸に砲台を建設する
1809(文化6)
式亭三馬「浮世風呂」
菱垣廻船十組問屋仲間、三橋会所を設立
オランダ通詞に露語・英語を兼修させる
「新編会津風土記」
「大日本史」
「蕪村七部集」
間宮林蔵が間宮海峡を発見する
江戸伊勢町に米会所を設立
1811(文化8)
天文方に蛮書和解御用掛設置
入墨を禁止
ゴローニン事件(ロシア船艦長ゴローニンを抑留)
各地で一揆頻発
1812(文化9)
司馬江漢「春波楼筆記」
平田篤胤「霊の真柱」
1813(文化10)
十組問屋仲間65組1195人に株札交付、新規加入禁
大坂町人に100万両の御用金を賦課
海保青陵「稽古談」
中部・北陸各地で打毀
1814(文化11)
伊能忠敬、沿岸実測全図を完成
曲亭馬琴「南総里見八犬伝」
葛飾北斎「北斎漫画」の刊行始まる
1815(文化12)
杉田玄白「蘭学事始」
根岸鎮衛死去
1816(文化13)
英船、琉球に渡来し貿易を要求
武陽隠士「世事見聞録」落語・昔物語、忠孝を説く条件で許可される
1817(文化14)
仁孝天皇即位
大蔵永常「農具便利論」
1818(文政1)
渡辺崋山「一掃百態図」
イギリス人コンドルが浦賀に来て通商を求める
1819(文政2)
一茶「おらが春」
塙保己一「群書類従」正編
1820(文政3)
山片蟠桃「夢の代」
1821(文政4)
大坂蔵屋敷の空米切手禁止
伊能忠敬「大日本沿海輿地全図」
東西蝦夷地を松前氏に還付
1822(文政5)
英船、浦賀に入港し薪水を求む
灯油濫造禁止
西国にコレラ流行
伊予浜子一揆
1823(文政6)
摂・河1007か村木綿売捌国訴
ドイツ人シーボルトがオランダ商館付き医師として出島に来る
摂・河・泉1307か村菜種売買自由を求めて国訴
1824(文政7)
南鐐二朱銀を改鋳
イギリスの捕鯨船が常陸大津浜・薩摩宝島に上陸して乱暴する
シーボルトが長崎郊外の鳴滝に塾を開く
1825(文政8)
諸大名に異国船打払いを指令
会沢正志斎「新論」
鶴屋南北「東海道四谷怪談」中村座で初演
青地林宗「気海観瀾」
異国船打払令 – 中国とオランダ船以外は砲撃などの武力で追い払う
1827(文政10)
関東全域取締、改革組合村結成
佐藤信淵「経済要録」
1828(文政11)
越後大地震広瀬淡窓「約言」
シーボルト事件(シーボルトが帰国時に禁制の日本地図を所持)
1829(文政12)
松平定信死去
1830(天保1)
お陰参り大流行
喜多村信節「嬉遊笑覧」
江戸商人に御用金を課す
薩摩藩で砂糖の専売が強化される
水戸藩の改革が始まる
1831(天保2)
良寛没
女浄瑠璃再禁令
長州天保大一揆起こる
葛飾北斎による「富嶽三十六景」ができる
1832(天保3)
為永春水「春色梅児誉美」初・二編
各藩の天保の改革始まる
寺門静軒「江戸繁昌記」
村田清風、長州藩に国政改革草案を上申
頼山陽「日本政記」
1833(天保4)
歌川広重「東海道五十三次」
大塩平八郎「洗心洞箚記」
天保の大飢饉(~36年)
徳川斉昭「告志篇」
1834(天保5)
柴田鳩翁「鳩翁道話」
水野忠邦が老中となる
二宮尊徳「三才報徳金毛録」
米価が上がったため各地で一揆や打ちこわしが起こる
1835(天保6)
鈴木牧之「北越雪譜」このころ滑稽本・人情本盛んになる
1836(天保7)
帆足万里「窮理通」
ロシア船、択捉に渡来
甲斐郡内騒動(甲州一揆)
「江戸名所図会」刊完了

十二代将軍 徳川家慶 1837-1853

1837(天保8)
徳川家慶が12代目将軍となる
大塩平八郎の乱(天保の大飢饉の影響により大塩平八郎が反乱)
渡辺崋山「鷹見泉石像」
生田万の乱(飢饉の影響により生田万が反乱)
モリソン号事件(アメリカ船を日本が砲撃)
宇田川榕菴「舎密開宗」
諸国に疫病流行
1838(天保9)
高野長英「夢物語」
奥羽飢饉
京都で豊年踊り流行
緒方洪庵が大阪に適々斎塾を開く(門下生は福沢諭吉・大村益次郎など)
村田清風長州藩の改革を始める
大原幽学、先祖株組合結成
渡辺崋山「慎機論」
調所広郷が薩摩藩の家老になり藩政を立て直す
都々逸流行
1839(天保10)
水野忠邦、老中首座となる(天保の改革開始)
蛮社の獄(高野長英、渡辺崋山らが鎖国政策を批判して捕縛)
1840(天保11)
遠山景元が江戸町奉行となる
1841(天保12)
御触書天保集成」
囲米布令
昌平黌に庶民の聴講許可
株仲間解散令
高島秋帆が江戸・徳丸原で洋式銃隊の訓練を行う
奢侈禁止令
1842(天保13)
物価引下令
絵草紙などの出版を統制
異国船打払令をやめ薪水食糧の給与許可
諸大名の専売を禁止
外国船打ち払い令をゆるめ、薪水・食料の給与を許す
薪水給与令
1843(天保14)
人返令
上知令
イギリス・フランス・オランダ・アメリカ船が来航して通商などを要求するが幕府は拒否する
中台芳昌「老農夜話」
老中水野忠邦が罷免される
1844(天保15・弘化1)
オランダ国王の親書幕府に届く
江戸城が火事で本丸御殿を焼失
帆足万里「東潜夫論」
1845(弘化2)
阿部正弘が老中筆頭となる
外国船対策に海防掛(かいぼうがかり)を常設する
漂流民を浦賀に送ってきたアメリカ船を鎖国を理由に帰らせる
1846(弘化3)
伊豆韮山の代官・江川英竜が伊豆7島を巡視し、海防に関する意見書を出す
イギリス船・フランス軍艦が琉球に来る
英仏米船など日本に渡来
アメリカ東インド艦隊司令長官ピッドルが浦賀に来て国交を求める
大原幽学「微味幽玄考」
藤田東湖「弘道館記述義」
幕府、朝廷に外国船渡来の状況を報告
孝明天皇即位
1847(弘化4)
オランダが再び開国を勧める
1848(嘉永1)
鉛活字をオランダより購入
橋本左内「啓発録」
1849(嘉永2)
イギリス測量船が浦賀に来航し、江戸湾を測量する
成島司直ら「徳川実紀」
1850(嘉永3)
軍艦製造
佐賀藩が反射炉を作る
江川英竜が韮山に反射炉を作る
1851(嘉永4)
土佐の漁師・中浜万次郎がアメリカ船に送られて琉球に来る
十組問屋ほか株仲間の再興許可
島津斉彬が鹿児島に製錬所を作る
1852(嘉永5)
オランダ商館長が明年アメリカが来航して開国を要求することを伝える
1853(嘉永6)
関東地震
アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが軍艦四隻を率いて浦賀に来る
アメリカの国書を諸大名に見せ意見を聞く
ロシア艦隊司令長官プチャーチンが軍艦四隻を率いて長崎に来る
黒船来航による対策の為に幕府はアメリカから帰国したジョン万次郎を旗本の身分で登用する

十三代将軍 徳川家定 1853-1858

1853(嘉永6)
徳川家定が13代目将軍となる
幕府、菱垣廻船問屋仲間株の制度を廃止
瀬川如皐「与話情浮名横櫛(切られ与三)」初演
1854(安政1)
ペリーが軍艦七隻を率いて再び浦賀沖に来る
ペリーと日米和親条約を結び、下田・箱館の2港を開く
下田踏海 – 吉田松陰と金子重之輔がペリー船で密航計画
吉田松陰がアメリカへの密航を企てて捕らえられる
日米和親条約(下田・箱館(函館)の開港及び補給など(鎖国廃止))
日章旗を日本国総船印に定める
日英和親条約(長崎・箱館の開港及び補給)
オランダに下田・箱館を開港
安政東海地震 – 東海地震
安政南海地震 – 南海地震
日露和親条約(国境線、箱館・下田・長崎の開港及び補給など)
各地で打毀・強訴など農民騒擾起こる
1855(安政2)
全蝦夷地収公
長崎に海軍伝習所をつくる
安政の大地震(江戸で大地震がおこる)
日仏和親条約を結ぶ
日蘭和親条約(長崎での行動が自由となる)
1856(安政3)
蝦夷人を土人とよび、日本語の習熟、内地人との同化を奨励
アメリカ総領事ハリスが下田に着任し、玉泉寺を領事館にする
天璋院篤姫が薩摩藩から十四代将軍徳川家定に嫁ぎ、正室となる
吉田松陰が松下村塾を開く
1857(安政4)
蕃書調所開校
クルチウス、アロー号事件を通告
下田条約
江戸に箱館産物会所
ハリスが将軍家定に会い、ピアース大統領からの国書を渡す
大坂町奉行、問屋仲間に対し冥加金を命じる
「虎狼痢治準」出版
コレラ流行
吉田松陰が松下村塾を引き継ぐ
凶作、米価騰貴農民騒動頻発
長崎奉行所、横文諸書を蘭製鉛活字で印刷
1858(安政5)
日米通商条約の勅許を得るため、老中堀田正睦を京都に派遣する
大坂に箱館産物会所
井伊直弼が大老になる
ハリスとの間で日米修好通商条約・貿易章程に調印する
井伊直弼は勅許を得ずに条約に調印井伊直弼(南紀派)と一橋派・尊皇攘夷派の対立する
水戸斉昭らが登城して大老井伊直弼を責める
日米修好通商条約・貿易章程に調印
オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも修交通商条約を調印する
外国奉行設置
徳川斉昭・慶恕・慶永らに謹慎を命じる
戊午の密勅(孝明天皇が幕府より先に水戸藩に勅諚)
フランスとの修好通商条約に調印する
安政の大獄

十四代将軍 徳川家茂 1858-1866

1858(安政5)
徳川家茂が14代目将軍となる
1859(安政6)
オールコック来日
神奈川、長崎、箱館を開港する
桐生35か村、生糸輸出の禁止を江戸町奉行所に請願
梅田雲浜が獄死する
寺子屋の開設が隆盛
大蔵永常「広益国産考」
1860(万延1)
河竹黙阿弥「三人吉三廓初買」初演
遣米使節・新見正興らがアメリカ軍艦ポーハタン号で出発する
勝海舟・福沢諭吉が咸臨丸で渡米する
桜田門外の変
五品江戸廻送令
遣米使節が帰国する
アメリカ人ヒュースケンが三田で斬殺される
かっぽれ、すちゃらか節流行
横井小楠「国是三論」
1861(文久1)
長州藩士長井雅楽が「航海遠略策」を藩主に出す
水戸浪士らが高輪東禅寺でイギリス公使を襲撃する
遣欧使節竹内保徳らが出発する
ロシア軍艦対馬占領事件
東禅寺事件 – 攘夷派がイギリス公使館を襲撃
1862(文久2)
坂下門外の変(老中安藤信正を襲撃事件)
公武合体
皇妹和宮と将軍家茂が結婚する
寺田屋事件(島津久光により薩摩藩の尊皇攘夷派が鎮圧)
文久の改革(島津久光らによる改革)
生麦事件(島津久光の配下がイギリス人を殺傷)
英国公使館焼き討ち事件 – 高杉晋作、久坂玄瑞らによる
高杉晋作らがイギリス公使館を焼き打ちする
「官板バタヒヤ新聞」
オランダに留学生派遣
佐久間象山、幕府の夷狄観を批判
諸国で重税、特産物買上げ反対の騒擾
1863(文久3)
近藤勇らが新撰組を作る
攘夷の期限を05月10日とすることを上奏する
下関事件(長州藩がアメリカ・フランス・オランダの船を砲撃)
長州藩が下関でアメリカ、フランス、オランダ船を砲撃する
高杉晋作らが奇兵隊を作る
薩摩藩がイギリス艦隊と戦う(薩英戦争)
公武合体派がクーデターを起こし、三条実美ら尊攘派の七公卿は長州に逃げる
天誅組の変(尊皇攘夷派の中山忠光による天誅組が大和で襲撃)
八月十八日の政変(公武合体派が京都から長州藩と七卿を追放)
生野の変(平野國臣らが但馬生野で挙兵する)
長崎・江戸・京都市中に天誅の張紙
1864(元治1)
天狗党の乱(水戸藩の尊皇攘夷派が筑波山で挙兵)
池田屋事件(新撰組が池田屋にいる尊皇攘夷派の志士を襲撃)
佐久間象山、開国論を唱え暗殺される
長州藩が京都を攻めて禁門の変が起こる
蛤御門の変
徳川家茂が長州征伐を命令する(第一次長州征伐)
四国連合艦隊下関砲撃事件(英仏蘭米が下関を砲撃して占拠する)
ヘボン夫人、横浜に女塾を開く(キリスト教女子教育の初め)
京都・大坂に物価騰貴・征長・外国貿易非難の張紙
功山寺挙兵(高杉晋作がクーデターで長州藩の藩政を倒幕とする)
1865(慶応1)
高杉晋作が馬関を占領し長州藩の藩論を幕府との対決にまとめる
物価引下げを命ず
横須賀製鉄所を作り始める
条約を勅許
津田真道訳「西洋各国盛衰強弱表」
1866(慶応2)
薩長連盟(薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の桂小五郎、土佐藩の坂本竜馬・中岡慎太郎らにより実現した薩摩藩と長州藩の同盟)
生糸蚕種改印令
倒幕のための薩長同盟の密約が成立する
これにより米価が暴騰して全国的に一揆・打ちこわしが多発する
第二次長州征伐(長州藩と幕府の戦いで、幕府の全面的敗北で権威が失墜)
大坂富商に御用金
外国米輸入可

十五代将軍 徳川慶喜 1866-1867

1866(慶応2)
徳川慶喜が15代目将軍となる
各地に世直しの騒動頻発
世直し一揆が空前の勢いで広まる
西周「万国公法」
福沢諭吉「西洋事情」
1867(慶応3)
明治天皇が即位する
パリ万国博覧会に参加
薩土密約(坂本竜馬の仲介による薩摩藩(西郷隆盛・大久保利通など)と土佐藩(後藤象二郎など)の政治同盟、2ヵ月半で解消された(公議政体))
薩摩藩が洋式紡績所を作る
坂本竜馬が土佐藩の参政である後藤象二郎に船中八策を提示する
大政奉還の薩土盟約
名古屋地方に「ええじゃないか」がおこる(翌月より各地に広がり始める)
嘉永4年の仲間再興の際登録した以外の者の営業中止
近江屋事件(近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺される)
お陰参り(ええじゃないか)大流行
薩摩・長州両藩に倒幕の密約がくだる
大政奉還
土佐藩が徳川慶喜に大政奉還を建白する
討幕の密勅・大政奉還
徳川慶喜が政権を明治天皇に返上するこれにより江戸幕府は崩壊したこの前後に薩摩藩・長州藩に討幕の密勅が下るが取り消しされた
王政復古の大号令
小御所の会議が行われる
摂政・関白・幕府などが廃止されて、新たに総裁・議定・参与の三職を天皇の直下に設置する同日、三職からなる小御所会議を開き戊辰戦争の発端となる
朝廷が王政復古を宣言する
1867(慶応3)
徳川慶喜の将軍職辞職天皇主体の明治政府が誕生する
1868(慶応4・明治1)
戊辰戦争
三職八局の制
新政府、京都で機関紙「太政官日誌」を創刊
五か条の誓文
神仏判然令、以後廃仏棄釈の運動起こる
七官両局の制に改正
福沢諭吉、塾を芝に移し慶応義塾と改称
奥羽越列藩同盟
新政府、新紙幣(太政官札)を発行し歳出を補い、合計2188万両余を製造発行
江戸を東京とする詔書
明治と改元、一世一元の制を定める
ヘボン、日本最初の和英辞典を完成(ヘボン式ローマ字の綴り)



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