佐倉城の桜 千葉県の日本100名城

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幕末・老中のお城

現在は、佐倉城址公園として整備されている佐倉城。

公園内には天守閣跡、巨大な馬出し空堀、水堀に守られた南出丸や西出丸など城の遺構が多数残されている。天守閣跡脇には樹齢約400年の「夫婦モッコク」(千葉県指定天然記念物)がある。

また、園内には昔、乳母が若君を池のほとりで遊ばせていた際、あやまって若君を溺れさせてしまったという哀しい話が伝わる「姥が池」がある。

佐倉城は、鹿島山の西端部に築かれた。

西側と南側を囲みこむように鹿島川とそれに合流する高崎川が流れている。川があることによって、城自体が天然の要害となっている。城のつくりがそのため、市街地は主として京成佐倉の方を中心に発達したようだ。

城は、戦国時代に本佐倉城主の第26代当主・千葉親胤が、大叔父にあたる鹿島幹胤に命じて築城を開始したもの。鹿島親幹にちなんで「鹿島台」と呼ばれるようになった。

だが、千葉親胤が暗殺されたために工事は中止されてしまう。

次に、第29代当主・千葉邦胤の代になって、工事が再開したが、今度も千葉邦胤の暗殺によって完成することはなかった。

佐倉城が完成するのは、土井利勝の時代になってからである。1610年(慶長15年)、徳川家康の命を受け、築城が再開されて佐倉城が完成する。

完成したのち、佐倉藩の藩庁が置かれた。

佐倉藩の城主は江戸幕府の要職に就くことが多かった。佐倉藩は江戸の東を守る要衝の地であったため、徳川一族・譜代大名が入封した。

江戸時代前半は、老中・大老となる幕閣の中心人物が入封したが、罷免、致仕、失脚があり、藩主の入れ替わりが激しい藩で、12回(13家)もお家変わりがあった。

武田家
松平(長沢)家
小笠原家
土井家
石川家
松平(形原)家
堀田家
松平(大給)家
大久保家
戸田家
稲葉家
松平(大給)家
堀田家

堀田家が2回登場するが、同族で、堀田正亮が11万石で再入封(後期堀田氏)してからは、幕末まで堀田家が佐倉藩領主となる。

幕末には、老中・堀田正睦が佐倉藩を率いた。蘭学を奨励し、医師佐藤泰然を招いて佐倉城下の本町(現・佐倉市本町もとまち)に順天堂を開かせた。現在の順天堂大学の前身にあたる。

堀田正睦はペリー来航以降、外国事務取扱の老中となり、ハリスとの日米修好通商条約締結などで、奔走するが、井伊直弼の大老就任で、老中を罷免され、蟄居した。

この辺りは、佐藤雅美の「開国-愚直の宰相・堀田正睦」に詳しい。

佐藤雅美の「開国-愚直の宰相・堀田正睦」を読んだ感想とあらすじ
覚書/感想/コメント★★★★★☆☆☆☆☆佐藤雅美の出発点となる作品。この作品の通貨に関する部分を抜き出して出版された...

住所 佐倉市城内町官有無番地
電話 佐倉城址公園管理センター:043-484-0679

アクセス
京成佐倉駅より 徒歩約20分
バス:駅南口、ちばグリーンバス田町車庫行き「国立博物館入口」または「国立歴史民俗博物館前」下車→徒歩約5分
JR佐倉駅より 徒歩約25分
バス:駅北口、ちばグリーンバス田町車庫行き「宮小路町」下車→徒歩約10分(くらしの植物園方向)、「国立博物館入口」・「国立歴史民俗博物館前」下車→徒歩約5分

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