山本周五郎の「五弁の椿」を読んだ感想とあらすじ

スポンサード

※本の画像はアマゾンへリンクしています。
※関連記事を下の方で紹介しています。
ご参考になさってください。

覚書/感想/コメント


★★★★★★★★☆☆

復讐劇が続くだけの小説かと思っていたが、第四話で同心の青木千之助が登場してから少し捕物の要素が出てくる。
だが、形式的にはそうなのだが、捕物帖でも、復讐劇でもない。

この小説の主題は次の言葉で言い表されているように思う。

「この世には御定法では罰することのできない罪がある、ということでございます。」

“法”を巡る小説なのである。

この小説で殺される人間は、人を殺したとか怪我を負わせたから殺されているわけではない。

あきらかな違法行為をしている者もいるが、露見していないので、捕まることがない。その他の者は、法を犯すことはしていないが、人としての倫理観から踏み外し、他人を不幸にして自分はのうのうと生きている。

そうした人間が殺されている。

それが例え倫理的、道徳的に問題があっても、法を明らかに破っていなければ何をしてもいい。捕まらなければ何をしてもいい。

そういう考えを持つ人間に対して、それに対抗する手段を持っていなければ、泣き寝入りするしかない。

だが、泣き寝入りしたくなければどうするか?

法では裁いてくれない。ならば…。

この超法規的手段に対して、おしの側からの考え方、そして青木千之助側からの考えが物語の中に見える。

そうせざるを得なかったおしのに対して、青木千之助の考えは実に微妙だ。というのは、青木千之助は超法規的手段に訴えることに対して、役目柄阻止しなければならないが、同情的な部分があるのだ。

法には限界がある。そもそも想定していなかったようなことには対処できない。それに、法は法の中でしか動けない。倫理的、道徳的な悪に対しては、例えそれが度を超していたとしても無力であるし、罰を与えるにしても法に定められた範囲内でしか罰を与えることが出来ない。

青木千之助が同情的なのは、法と実態の乖離を、現場の人間として身につまされていたからなのかもしれない。

法と実態の乖離は極めて現代的な問題である。

内容/あらすじ/ネタバレ

天保五年正月。「むさし屋」の寮が火で焼け、焼跡から三人の死体が出た。下女の話から、おかみのおそのと主人の喜兵衛、娘のおしのだということが分かった。

…喜兵衛の病状が悪化したのは十二月のことだった。喀血し、医者にも長くはないといわれた。その父の姿をみておしのは母・おそのに来てもらいたかった。だが、化粧や芝居などの遊びにしか興味のない母はついに来なかった。

そして、いよいよ喜兵衛が悪くなると、喜兵衛は最期におそのに一言言ってやりたいことがあるといって寮へ行くと言い出す。

結局、喜兵衛はおそのにその一言を言う前に死んでしまう。そして、おしのは母から衝撃的な事実を聞かされる…

…銀の平打の釵で殺される事件が続いた。青木千之助はそれが気になった。一人は芸人、一人は町医者。どちらも評判のよくない人間だった。

ある意味殺されて当然の人間だったかも知れない。この二つの殺しの現場には椿の花弁が一枚だけ置かれていた。それが何の意味だかは分からない。そして、この二つの殺しには若い娘の影がちらついている。

この娘とおぼしき娘がいるという。さっそく青木千之助はその娘に会うが、倫と名乗る娘に格別変なところはなかった。

…危ないところだった。本当に危ないところだった。おしのは思った。だが、まだ捕まるわけにはいかない。まだ三人残っている。

桝屋の佐吉は八人の名を挙げたが、その内五人を選んだ。その五人はいろいろな意味で人を苦しめ、騙し、泣かせている。他の三人は許せても、この五人だけは許せない。あと三人。

本書について

山本周五郎
五弁の椿
新潮文庫 約二八五頁

目次

序章
第一話
第二話
第三話
第四話
第五話
第六話
終章

登場人物

おしの(おりう、おみの、倫、およね)
おまさ
喜兵衛…父
おその…母
菊太郎
島村東蔵
佐吉
岸沢蝶太夫
むささびの六
仲次郎
海野得石
おくに
おかね
香屋清一
源次郎…丸梅主人
おつる
青木千之助…同心
徳次郎