北方謙三の「三国志(全13巻)」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

★★★★★★★★☆☆

「北方三国志」と言われる北方謙三による三国志。「三国志演義」と「正史三国志」をもとに書かれているが、比重としては「正史三国志」に重きを置いているようである。

そのため、劉備・関羽・張飛の三人が義兄弟となる桃園の誓いもなく、呂布が董卓を殺す原因となった貂蝉も登場しない。

主要人物の描き方にも特徴がある。この人物描写が「北方三国志」といわれるゆえんだろう。

劉備は徳の将軍として謳われるが、徳の人だけではない。荒れ狂い、激情を溢れさせ、深く沈み込むときがある。内面に暴力的な一面をもっている人物として書かれている。

「ごく稀だが興奮すると見境がつかなくなる。」という書き方もされている。

逆に、こうした一面を知る関羽と張飛は、劉備のこうした一面が表に出る前に自分たちがそうしたところを引き受ける役所となっている。

特に、張飛にその傾向が強い。劉備に代わって、荒っぽいことをするのは、張飛であり、兵を訓練するときも、厳しくするときは張飛がやる。劉備は徳の人でなければならない。そうした思いがそうさせているのだ。だから、張飛は乱暴なだけでなく、内面に知性と優しさを秘めた人物として描かれている。

優しさをよく表現しているのが、張飛の従者・王安に接するときの態度だろう。厳しさの中に、限りない愛情がある。

張飛に対する作者の思い入れがよく分かる人物設定である。

前半部分で、張飛同様に強い思い入れがある人物が呂布であろう。孤高の軍人として強く書かれている。この呂布はかっこよく書かれている。

この呂布の系統を継いでいるのが、馬超であろう。そして、よほどにこの系統がなくなるのを嫌ったのであろう。正史三国志や三国志演義での馬超とは大幅に異なる書かれ方となっている。北方謙三好みの人物たちと見ることも出来るだろう。

呂布には強い思い入れがあるのかもしれない。かっこいい台詞が数多くある。特に、しびれるのは曹操が呂布に降伏を促すシーンだろう。

「頼む、呂布殿。私に降伏してくれ。」
…(略)…
「私と呂布殿が一体になれば」
「やめろ、曹操。男には、守らなければならないものがあるのだ。」
「なんなのだ、それは?」
「誇り」
「おぬしの、誇りとは?」
「敗れざること」

呂布の台詞に負けず劣らずしびれるのが、曹操の次の台詞。

「私も、負けた。完膚なきまでに、負けた。この姿を見れば、それはわかろう。しかし、私は闘って負けた。そして諸君は、闘わずして負けたのだ。私は、闘わずして負けた諸君に、訣別を告げる。」

覇道を歩き始める曹操の格好良さ!

許褚の台詞も印象的である。

「おまえも、死ぬのかな、虎痴」
「殿が生きておられるかぎり、私も生きます」
「言いきれるのか?」
「決めております」

軍人の中の軍人という感じである。

死の描き方が印象深い小説でもある。特に、蜀の関羽、張飛、劉備、趙雲、諸葛亮の死はそれぞれ印象的である。九の巻以降、一巻がそれぞれに割り当てられているのも心憎い演出である。個人的には、趙雲の最期が好きである。

「泣くな」

趙雲は、まだ眼を見開いている。

「男の別れだ。さらば」

物語後半で、面白い役回りが爰京であろう。

創作の人物だが、狂言回し的な役回りで、終息していく乱世を別の視点から見せてくれる。

あぁ、北方三国志も終わりになってきたなぁと、実感させられる登場の仕方である。

爰京とともに面白い役回りがある人物がいる。それが誰かは本書で確認頂きたい。

内容/あらすじ/ネタバレ

天狼の星

馬を盗んだ盗賊から馬を取り返す。劉備がやった仕事だ。この仕事にたまたま声をかけた関羽と張飛という若者が加わっていた。

河北では賊が増えている。太平道というものを信じた民が叛乱して起こした黄巾族というのも出始めている。世が乱れている。大事なのは漢王朝が一つにまとまることだが、宦官の専横がひどくなるばかりだという。

劉備は仕事を終えると、家に戻った。そして何事もなかったかのように筵を織り始めた。何を考えているのか関羽には分からなかった。だが、この劉備という男が気になる。張飛も気になるらしい。

関羽は劉備の志を聞くことにした。劉備は天下を平定して漢王室を立て直したいという。関羽はこの話を聞き、その覇業に自分と張飛を加えてくれと頼み込む。

劉備は家来でなく兄弟ということならと、関羽と張飛と義兄弟になった。劉備が二十四、関羽が二十三、張飛が十七である。そして、三人は義勇兵の募集に応じることにした。

…曹操は二十九になっていた。騎都尉である。宦官の家系に生まれたということが幼い頃から心に影を落としてきていた。

先頃出会った劉備という若者を部下にしておきたい。これからは人材が必要だ。だが劉備には強い自立の意志があった。劉備が欲しい。関羽と張飛をもつ劉備がいれば天下は近いものになる。曹操が目指すものはただ一つ。天下に号令をかけることである。

この頃、孫堅は兵二千で義勇兵として加わっていた。

…県尉(警察署長)になった劉備。孫堅はもっと上の官位を与えられていた。一年を転戦しての褒美がこれである。

関羽と張飛に報いてやれなかった惨めな思いがある。だが、この官位も督郵を殴って捨てた。

…曹操は洛陽でしかるべき官位につきたかった。そのため、浪人をする。こうしている間にも、曹操のもとには五錮の者と呼んでいる石岐が訪れて様々な情報を落としていく。

朝廷は乱れるだけ乱れるしかない。曹操はそう思っていた。

…霊帝が崩御した。立太子のないままの崩御である。これによって生じた混乱を上手く利用したのが董卓であった。

新しい帝の近くにいた袁紹も曹操も今一歩のところで手が届かなかった。この知らせは公孫瓚の所に身を寄せている劉備の耳にも届いた。袁紹は洛陽から逃亡し、冀州に入るとただちに兵を集め、三万の軍を作り上げた。袁紹の異母弟袁術も南に向け出奔していた。曹操も洛陽を飛び出すことにした。

…呂布は洛陽を巡回していた。主の丁原が洛陽に出てきて執金吾(警視総監)になったことにともなうものだった。

呂布は妻の瑶を洛陽に呼び寄せたかった。だが、丁原が許してくれない。そんな折、董卓が呂布に馬を下した。赤兎である。呂布は瑶を洛陽に呼び寄せることに反対する丁原を斬り捨てた。そして、董卓の将軍となる。

…董卓を討つ軍が集結した。三十万を超える。だが、この軍は董卓を討つことが出来ずに散会した。

参旗の星

瑶の体調が悪い。呂布は心配で仕方がない。そもそもの原因が分からない。だが、王允が董卓が下した女に原因があるという。そして、董卓は言ってはならないことを呂布に言ってしまった。

…青州黄巾軍百万。これを相手にどう闘えばいいのだ。しかも闘うだけではない。ここで袁紹や袁術、董卓を超える。そう曹操は考えていた。曹操のもとには、袁紹を見限った荀彧が来ていた。

南では孫堅が死んだという。董卓も呂布に殺された。そうしている間に袁紹は着実に力を伸ばしていた。

黄巾軍との闘いは壮絶であった。いったんの膠着状態になると、曹操は荀彧を使者にして黄巾軍に降伏を説得させることにした。そして、荀彧は頬がこけ、眼が飛び出し、鬢のところが白くなる思いをして曹操の期待する結果を持ち帰った。曹操軍八万。飛躍の時であった。

…劉備は戦に明け暮れていたが、小さなものばかりであった。だが、徐々に野心を持たない将軍として名は上がりつつあった。こうした中でも劉備は応累というものを使って情報を集めていた。

…人材が必要であった。どれだけ人がいてもたりなかった。曹操は荀彧が連れてきた程昱、郭嘉を臣下に加えることをえた。少しずつ人材が集まってきていた。

曹操を裏切った者がいた。陳宮らだ。そして、呂布のもとに下った。呂布の強さは驚異的である。曹操は倍を擁する兵で呂布とあたり負けた。

…劉備は徐州に留まっていた。陶謙が自分の領土を譲るというのだ。喉から手が出るほど欲しかった。だが、徐州は豪族が割拠しており、これの上に立って州を治めるのは困難だった。

困難なことを承知で劉備は陶謙の申し出を受けることにした。こうした中、三年ぶりに趙雲が劉備のもとに戻ってきた。そして、陶謙の家臣だった麋竺が加わった。

…孫策は二十になっていた。いまは袁術のもとにいる。それはどうしようもなくなったからだ。屈辱に耐える日々だった。だが、期はやってきた。いまこそ袁術から離れるときである。周瑜も孫策のもとに駆けつけてくれた。

会稽を奪った。袁術のくびきから逃れられる。自分の足で、地に立ったのだ。

玄戈の星

五斗米道が漢中に入って九年。力は養ってきた。兄の張魯が教祖で、張衛は兄を助けるために闘いを担当していた。五斗米道の聖地を守る。それが自分の役割だと張衛は思っている。

張衛には夢がある。益州を五斗米道教国を作る夢である。

…許都に曹操は帝を迎え入れた。この許都に劉備は逃げ込んだ。ここで再び曹操と会い、劉備は曹操とは相容れ合うことが出来ないと確信し、曹操は劉備をますます自分の配下にしたくなった。それぞれの思惑が交錯する。

…呂布に袁術が挑んだ。呂布軍五万。袁術軍十五万である。だが、呂布の軍隊に完膚なきまでにたたきのめされたのは袁術の方であった。こうした中、曹操の眼は呂布に向いていた。大きくなりすぎると厄介である。

…無理な戦は避けてきた。天下は袁紹のものだと人は言う。自分もそう思っていた。北の制圧に目処がついてきた。河北四州を統一したとき、天下に号令するときが来るのだ。全国の情勢を見る限り、あと十年で統一できるだろう。そうしたら、袁家の王朝の始祖となるのだ。

戦を嫌う武人と言われているのは知っている。それでいい。そう思っている。戦とは、国の血を失う行為である。最後に殺す人数はできるだけ少ない方がよい。

…劉備は呂布を訪ねた。そして、この国のあるべき姿を語った。呂布にも劉備の熱い心が分かる。だが、自分は軍人なのだ。

劉備は呂布との連合に一縷の望みをかけてやってきたのだ。だが、無理であることを悟り、これ以上の説得はやめにした。

…そして、曹操と呂布との戦いの火蓋が切って落とされた。曹操軍十七万、その一部は特別な調練を施したらしい。

列肆の星

謁見するものを早々に追い出す。曹操が帝に対する態度を意図的に変えたようだ。宮中に波風を立てようとしているようだ。

曹操の主力軍は河水のほとり、官渡あたりに集まりつつある。明らかに袁紹に対する備えである。だが、兵がたりない。どう計算しても袁紹との戦いに動員できるのは十万から十一万だ。袁紹は二十万以上の兵を集結させている。敵が多すぎる。南も西も敵だらけといっていい。

逆に袁紹には敵がいない。幽州を併せたのが大きい。背後の心配をせずに曹操と対峙できる。勝てる。袁紹は疑っていなかった。勝てば、この国で自分に逆らえる人間はいなくなる。この戦いには覇権がかかっている。

…董承が下賜された帯の中に、曹操討伐の密勅があるという。劉備は宮廷内での不穏な動きに巻き込まれるつもりはなかった。

…袁術が動こうとしている。全軍で北上しようとしているらしい。負け犬が最後に頼るのは、血のつながった兄ということか。この袁術の北上をどう止めるか。劉備軍五千を当てるしかあるまい。そう考えた。劉備は袁術を破ったら、曹操への叛旗をあげるつもりだ。

…孫策軍六万。江夏を攻めるところまで大きくなった。父・孫堅の命を奪った仇敵・黄祖を討つ。北では曹操と袁紹が対峙している。この戦の帰趨は見た方が良い。袁紹が勝てば、曹操の土地は転がり込んでくる。ここは江夏だろう。黄祖を揉みに揉み上げる。これが孫家の戦い方だ。

…袁術が死んで、少しずつ形勢が曹操に有利になっている。だが、袁紹との対峙は続いている。まさか、このような状況下で曹操自ら出馬してくるとは思っていなかった。負けた。小気味よいほどに見事負けた。劉備は死ななかっただけ、ましだったのではないかと言い聞かせていた。

この知らせを聞いた関羽はにわかには信じられなかった。だが、張遼がやってきて降伏を促す。劉備の夫人たちも捕まっているという。関羽は仕方なく降伏することにした。だが、曹操への臣従はするつもりはない。いずれ曹操にはそれなりの手柄を立てて恩返しをすればよいと思った。

…そして、「官渡の戦い」が幕を開ける。

八魁の星

官渡で負けた後の袁紹の動きはさすがであった。十数万の兵だった。決死の軍である。曹操は程昱を軍師として連れて行くことにした。程昱の献策は十面埋伏の計である。

…袁紹が逃走中に血を吐いて倒れたという。袁紹が死ねばそれぞれが一州を領している息子たちや甥の間で後継の争いが起きるかも知れない。逆に今攻めればまとまるだろう。ここはしばらく様子を見ることにした。

…劉表に借りた新野一帯は肥沃な土地である。だが、劉備は兵を六千以上に増やさなかった。劉表の家中で劉備が力を持つのを好まない者がいることを知っていたからだ。

…孫権は孫策の遺言を忠実に守っていた。外のことは周瑜に。民政は張昭に。こうした中でも意見が一致したのが水軍の強化だった。そして、豪族たちの力が少しずつ弱まり、孫権の力が増し始めている。特に魯粛が豪族との軋轢を見事に押さえてくれた。

…五斗米道の張衛は信じられない気持ちであった。惨敗だが、負けたという気すらおきない。わずかな兵に敗れたのだ。相手は張飛だった。はっきりわかったのは、ほとんど戦らしい戦がおきていない益州の軍は弱いということである。広くこの国の様を見てくる必要がある。張衛はそう思った。

…袁紹が死んだ。ここは外圧を弱めて、後継争いを誘う必要がある。曹操は、早急な攻撃は控える気でいた。

…友人がひとりいる。伊籍という。そこで厄介になればいい。徐庶は思っていた。この伊籍に厄介になっているときに曹操軍が南下してきた。劉備軍が曹操軍と戦うことになった。曹操軍は八門金鎖の陣をしいている。これを破る献策をしたのは、伊籍を通じて劉備に紹介された徐庶だった。

…袁紹の息子たちの自制心のなさは曹操の想像以上だった。そして、鄴を攻め落とすために、許攸を使うことにした。許攸は鄴の約半分が漳水の水面より低いという。水攻めに決まった。

…益州を奪えば、荊州が落ちる。揚、荊、益。この三州があれば、曹操と天下を二分できる。周瑜は自分の中で考えていた。まだ孫権にも魯粛にも語ったことはない。

陣車の星

曹操がこの一年でほぼ河北の平定を終えていた。次にどこに向かうにしろ、いずれ涼州にもその矛先が向かってくるだろう。時代が涼州にも流れ込もうとしている。馬超はこの流れにどこか抗いたい気持ちがあった。

…江夏攻めは曹操の北伐が終わってからとする。孫権はそう決めていた。それでいいと周瑜は思う。その一方で、表面の闘いとはべつに、間諜の闘いがあった。曹操の間者がかなり入り込んでいることは分かっていた。このあぶり出しが周瑜の仕事でもあった。

…劉備は隆中まで足を伸ばすつもりでいた。徐庶が置きみやげに教えてくれた諸葛亮孔明に会うつもりなのだ。そして、劉備は孔明に会い、どうしても同士に加えたいと思った。

孔明は劉備の思いは分かったが、これを断った。孔明は思っていた。劉備はなぜあそこまで愚直に自分の志を信じることが出来るのか。

人は欲の生きものである。志は欲の裏返しでしかない。自分のように惨めさを舐め尽くしてきた者が、欲望を捨て去ることが出来るはずがない。しかし、欲望に支配されて生きたくもない。このまま終わってしまうのか。

…孔明が劉備の臣下になった。早速献策をする。天下三分の計。孔明の見るところ、劉備軍には戦術があって、戦略がない。いずれ、荊州をとり、かつ益州も併せる。このことを念頭に、勝のも、負けるのも決めていく。そして、曹操と対抗する。

…曹操の北伐が終わっても、孫権は動こうとしなかった。曹操は南征の準備を始めているという。だが、重い腰をようやく上げて江夏を攻撃した。念願の黄祖の首を手にした。

…二十万で荊州を奪う。そしてすぐに揚州を攻める。曹操の考えだった。この二十万での出陣は劉備の元にも届いている。劉備軍は孔明の策にしたがって動き始めた。まず、曹操軍を江陵に向かわせる。江陵を奪うふりをするのだ。

そして、主力は温存しておく。江陵を曹操が奪えば、そのまま揚州になだれ来る。そうするようにし向ける。それが孔明の策だ。

孫権を曹操との闘いの場に引きずり出す。そして、劉備軍は孫権軍と連合する。これしか道はなかった。

諸王の星

孫権との同盟の使者として孔明がたった。揚州が最も困るのは曹操が荊州に居座ることである。それを見越しての使者である。曹操との決戦場はまだ決定していない。すべて孫権との同盟が成り立ってからのことである。

劉備は負けることには馴れていた。だが、今度負けると間違いなく曹操の天下は決する。だから負けることは出来ない。この戦いは、追いつめられてのことではない。曹操を誘い出すのだ。

…敵が水戦を望むのなら、それを逆手に取る方法がある。多少の犠牲を出しても、一度敵の艦隊を打ち破ればよい。曹操はそう考えていた。

…孔明は孫権との対談で、劉備の覚悟だけを伝えた。それ以上のことは何も言わなかった。同盟のことすらも口にしなかった。ただ劉備の覚悟だけを孫権に伝えた。

孫権は迷っていた。だが、周瑜の一言で決戦が決まった。そうだ、誇りをかけて闘うのだ。

…周瑜の作戦は一千里に及ぶ陣を構えることである。長江を攻め下り始めたが最後、長く果てることのない罠に嵌り込むのだ。

この戦いに勝てれば、天下は二分出来る。荊州を攻略し、そして益州をとる。周瑜はそういう戦略をたてていた。

…周瑜は孔明と会った。この諸葛亮という男は周瑜の作戦の深くをすでに読んでいるようだった。その孔明が「北風が強い」という。かすかな戦慄が周瑜の肌を走った。

…出撃。曹操のはじめての水上への出撃である。だが、敵の兵力がおかしい。揚州軍十三万と聞いていたのに、全軍で三万だという。残りはどこに消えたというのか。罠がある。埋伏の計か。十万の兵と船をきれいに隠している。だが、急ぐべきではない。周瑜の水軍を全力でたたくのみである。

曹操は長江の地図を見ていた。陸口か蒲圻で上陸できないか。そうすれば東の柴桑まで土地になる。水戦でなく陸戦。その可能性を探り始めていた。

…周瑜は南岸の蒲圻に陣取ることにした。この季節は北風しか吹かない。北岸の烏林に陣取った方がよい。

だが、曹操軍をひとつにまとめておくには優位な地を譲る必要がある。曹操はこの地に陣取るに違いない。この地が決戦の地である。「赤壁の戦い」が幕を開ける。

水府の星

長江南岸の荊州はほぼ固めた。長い流浪の末につかんだ土地である。だが、ここは足がかりに過ぎず、益州をとることが劉備軍にとっての至上命題である。しかし、益州攻略は周瑜もやろうとしてる。

…赤壁の戦いから二年が過ぎた。江陵をとり準備を重ねてきた。いまは孫家の会議の意見をまとめる。それで周瑜の描いている戦いが始まるのだ。

だが、この戦いが始まる前から、病が周瑜をむしばんでいた。そして、船室で大量の血を吐く。

…周瑜の作戦は万全だった。おまけに西には馬超がいる。曹操としては身動きが出来ない状態が続いていた。だが、周瑜が死んだ。孫権軍は当面守りを固めるだろう。

一方その頃、劉備軍は数万で益州にはいることになった。名目は五斗米軍と闘う劉璋を援助するというものである。

…馬超が長安を越え、さらに東に進攻してきた。膠着状態を打ち破ったのは馬超だった。いまは馬超を討ち取ってしまうしかない。

馬超が決戦を回避するのが、曹操としては一番避けたいことである。だから、馬超にも勝機があると思わせるような兵力で戦うことが必要だ。

馬超の強さは驚異的であった。呂布以来の強さかもしれない。

…劉備軍が益州へ入っていった。劉備自ら指揮を執り、軍師は龐統、武将として黄忠、魏延を伴う。劉璋の不安をあおらないための布陣だった。この報告を聞いて曹操はしてやられたと悔しがった。

…建安十八年(二一三年)。曹操は魏公にのぼった。そして、劉備軍は成都に到着した。

軍市の星

乱世は終息に向かっている。勢力は三つになり、一つがつぶれれば、残った二つが決戦をして、この国は一つにまとまる。
曹操を潰すしかない。劉備にははっきりそれが分かった。武将も文官もそろい始めていた。馬超も劉備の麾下に入った。

…益州を制圧した知らせを関羽は江陵で受けた。劉備が益州へ行ってから、関羽の仕事は荊州を守ることである。気を抜けば曹操が襲ってくる。

そうした中、頻繁に孫権から使者が来るようになった。荊州返還要求である。成都ではかなりの議論になったようだが、劉備が要求をはねのけた。関羽は戦になると感じていた。孫権軍が動いた。だが、ここで孫権と全面対決になれば、曹操だけが利することになる。避けるべきだった。

孔明が秘かに関羽を訪ねてきた。今のところ、孔明の戦略通り、天下三分に様相を呈している。二人は夜を問わず状況分析と今後の展望を話し合った。本来関羽には軍師が必要である。

その任を担うはずだった龐統は流れ矢に当たって死んでいた。代わりになりうる人材はいなかった。関羽への負担が増えることは目に見えていたが、仕方がなかった。

…劉備が陽平関によって一年余。じわじわと魏軍を締め付けていた。曹操が長安を出発してきた。四十万の軍勢を率いて自ら指揮を執っている。曹操は今度の戦いで劉備の首を取るまでは戻らないという覚悟をしていた。しかし、戦線は膠着した。

…劉備は漢中で長く苦しい戦をやった。そして、曹操が帰還するやいなや、期を見計らったかのように関羽へ出撃の命令が届いた。

帝座の星

関羽の死が孔明に与えた衝撃は大きかった。そして蜀としての戦略が根本から崩れた。結果的には曹操のかけた離間の計が見事に決まったということだった。

張飛は劉備が孫権討伐軍の組織を必ずやると信じていた。孔明が反対しようと、やるはずだ。自分の命を取り戻す戦だからである。冷静に見れば、北への進攻をやめた以上、南に目を注ぐべきである。だが、激烈な調練を行っている劉備と張飛の二人の意思表示は明かである。

…関羽が策略にはまって死んだ。そういう風に死なせて良かったのか。曹操にはその思いがつきまとっていた。だが、今はもう乱世を長引かせる戦よりも、終わらせるための戦をすべきである。蜀はそのことが分かっており、呉はそのことが分かっていないとも思った。

…豊かな国土を作ること。全土を統一する必要はない。揚州と荊州だけで十分な広さがある。これなら民を幸福にすることが出来る。孫権の思いだった。豊かさを競えばいいではないか。だが、今は武将にも兵にも、いずれ天下を取るのだと思わせていた方がいい。

…曹操孟徳が死んだ。この知らせを聞いた劉備は涙を流した。曹操の跡を継いだ曹丕は短い喪の後、すぐに国内を固め始めた。そして、曹丕は帝にのぼりつめた。

…劉備と張飛による対孫権の軍が動き始めた。対する孫権軍の将は陸遜である。だが、戦いに入る前から様々な謀略が巡らされていた。

鬼宿の星

義兄弟の二人。関羽が死に、張飛も毒殺された。劉備にとってこれは生きながら死んだようなものであった。だが、まだ戦場である。そして、張飛の残した軍が残っていた。

対する陸遜も、身を削りながら蜀軍を待ち受けていた。陸遜はひたすら耐える陣を敷いていた。これに反発する声も上がっているのは確かだった。

だが、陸遜は耐えに耐えた。陸遜にとってこわいのは、蜀軍が一斉に撤退することだった。これを追撃しようとする武将を止めることはできないだろう。それを横から攻撃され、退路を断たれたら、潰走せざるをえない。こうした情勢の中、馬超は死んだことにして蜀を去った。

大敗北であった。黄権を除く将軍のほとんどが死んだようだ。馬良も死んだ。関羽の息子関興も死んだ。蜀は大事な戦力を失った。

…魏軍三十万。これを前にした陸遜はたいした敵ではないと思った。曹丕の軍は大軍をたのんだ軍であり、圧迫感がない。瀬踏みのような対峙で終わった。

…久しぶりに劉備は起きあがった。戦いに敗れ気力が萎えたところで、身体の奥に潜んでいた病が表に現れ始めたようである。だが、劉備には伝えなければならないことがあった。孔明にである。

霹靂の星

劉備が死んで一年が経とうとしていた。孔明は丞相としてすべきことをすべてなしたという思いがある。だが、まだ国力を回復しただけである。劉備の志を継いでいるとはいえなかった。

蜀は三国の中では最小、最弱である。だが、道は残されている。軍も充実を取り戻しているが、将軍だけは別だった。趙雲以外は、みな小粒であった。

いよいよ南征を始めることにした。長くて一年。その間は趙雲が留守を守ることになった。

…曹丕が三十万の軍を率いての対呉の親征は戦果をあげずに終わった。戦わずに戻ってきたのだ。それも相手の偽城を見抜けずに。曹丕は曹操に比べて明らかに戦が下手である。

…南中では孟獲が人望を集め、勢力もあるようである。孔明は孟獲が自分の考えるような人物であることが望ましかった。そして、南征は順調に進み、やがて孟獲軍とぶつかった。だが、孔明にとって孟獲は敵ではなかった。七度戦い、七度命を助けた。そして、屈服させることに成功する。わずか数ヶ月での制圧であった。

…曹丕の病が篤いらしい。三国分立の底で何かが動き始めている。そして、曹丕の後を継いだのは二十一歳の曹叡だった。蜀では、軍の頂点にいた趙雲がみずから並の将軍へと下がった。そして、出師の表。孔明が劉禅に捧げ、北への出撃が開始された。

…孔明が対決するのは司馬懿だ。あらゆる局面で勝っていた戦だった。だが、馬謖の思わぬ行動から撤退を余儀なくされた。しかも、犠牲の大部分を馬謖の軍が占め、他はほとんど犠牲を出していない。馬謖を処分するしかなかった。

極北の星

出陣と決まった。曹真の大将軍としての威信をかけた戦いである。副将は司馬懿。全軍三十万での漢中進攻である。

この戦いは決して負けないことである。少なくとも司馬懿の部隊は負けないようにすべきである。曹真は勝とうとするはずである。そこで墓穴を掘ることになる。魏という国が曹操、曹丕の頃と少しずつ変りつつあるのを司馬懿は感じていた。

漢中進攻に対して、諸葛亮がどういう迎撃をしてくるのか。闘わないのが最善の方法である。だが、曹真が潰れていったあとには、自分が諸葛亮とむかいあうことになるだろう。闘わないでいることが出来るのか。

…三十万の魏軍を動けなくする方法ならいくらでもある。蜀に進攻してくるのだから、誰の目にも敗退という形で追い返してやりたい。それが孔明の考えだった。

…遠征してきた魏軍が撤退した直後、きわどい勝負であるが、打って出たい。ぎりぎりの中で孔明が選択した決断である。これを迎え撃つのが司馬懿であった。

司馬懿が動かないというのが孔明の最悪の想定である。戦には勝った。勝ったというのだろう。だが、このままではどうにもならなかった。何とか一年もつ、はずだった…。兵糧がと切れ、撤退するしかなくなった。

…そして、孔明が再び動き出す。対峙する場所は五丈原。

本書について

北方謙三
ハルキ文庫 計約四一五〇頁
時代:漢末期

目次

一の巻:天狼の星
馬群
砂塵遠く
天子崩御
洛陽内外
諸侯参集
群雄の時
地平はるかなり
二の巻:参旗の星
烏の翼
降旗
黒きけもの
大志は徐州になく
流浪果てなき
それぞれの覇道
三の巻:玄戈の星
光の矢
情炎の沼
原野駈ける生きもの
追撃はわれにあり
海鳴りの日
滅びし者遠く
四の巻:列肆の星
遠い雷鳴
わが立つべき大地
光と影
策謀の中の夢
風哭く日々
乾坤の荒野
三者の地
五の巻:八魁の星
軍門
勇者の寄る辺
生者と死者
制圧の道
戦のみにあらず
六の巻:陣車の星
辺境の勇者
わが名は孔明
天地は掌中にあり
知謀の渦
橋上
揚州目前にあり
七の巻:諸王の星
千里の陣
風下の利
夜が燃える
わが声の谺する時
病葉の岸

八の巻:水府の星
野の花
長江の冬
乱世再び
曇天の虹
新しき道
九の巻:軍市の星
たとえ襤褸であろうと
荊州の空
新たなる荒野
漢中争奪
北へ駈ける夢
野に降る雪
十の巻:帝座の星
烈火
冬に舞う蝶
めぐる帝位
去り行けど君は
死に行く者の日々
遠い明日
十一の巻:鬼宿の星
前夜
戦塵の彼方
いつか勝利の旗のもとで
去る者もあり
滅びの春
月下の二人
十二の巻:霹靂の星
南中の獅子
さらば原野よ
北への遠い道
天運われにあらず
再起するは君
老兵の花
十三の巻:極北の星
降雨
山に抱かれし者
両雄の地
敗北はなく勝者も見えず
日々流れゆく
遠き五丈原

登場人物

【魏関連】
曹操孟徳
石岐…五錮の者、間者
荀彧
荀攸
程昱
郭嘉
賈詡
曹丕…曹操の子
夏侯惇…曹操の従兄弟
夏侯淵…曹操の従兄弟
曹仁
曹洪
典韋
許褚
張遼
張郃
司馬懿仲達
尹貞…司馬懿の参謀
【呉関連】
孫堅…孫策、孫権の父
孫賁…従兄
程普
黄蓋
韓当
孫策伯符…孫権の長男
周瑜公瑾
幽…周瑜の間者
太史慈子義
張昭
孫権仲謀…孫権の次男
潜魚…間者
魯粛
諸葛瑾…諸葛亮孔明の兄
甘寧
陸遜伯言
淩統
呂蒙子明
【蜀関連】
劉備玄徳
関羽雲長
張飛翼徳
趙雲子竜
応累…間者
麋竺
甘夫人…劉備の第一夫人
麋夫人…麋竺の妹で劉備の第二夫人
劉禅…劉備の子
薫香…張飛の妻
王安…張飛の従者
陳礼
関興…関羽の実子
関平…関羽の養子
張苞…張飛の長子
伊籍機伯
徐庶
諸葛亮孔明
陳倫…諸葛亮の妻
龐統士元
王平
簡雍
魏延
馬超孟起
袁綝…馬超の妻
馬岱…馬超の従兄弟
牛志
姜維伯約
黄忠
沙摩柯
馬良
馬謖…馬良の弟
馬忠
孟獲
【その他】
成玄固
洪紀
胡郎
華佗
爰京…華佗の弟子
呂布奉先
瑶…呂布の妻
赤兎…呂布の愛馬
陳宮
丁原…呂布の養父
袁紹本初
顔良
文醜
袁術公路…異母弟
公孫瓚
劉焉
劉璋…劉焉の息子
孟達
張魯…五斗米道
張衛…張魯の弟
鮮広
任成
白忠
劉表
黄祖
蔡瑁
董卓
王允
霊帝
少帝
献帝

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